大相撲の軍配とは
軍配と聞いてまず思い浮かぶのは、やはり大相撲の軍配だろう。この軍配は、相撲の行司が立合いや勝負の勝ち負けを言い渡す際に使用されている。
では軍配はいつから使われるようになったのだろうか。その昔、武将が戦の際に指揮するためにうちわを使用したのが、その始まりだと言われている。軍配うちわの略語であり、戦の際に方角を見極めて陣形を配置する際にうちわを用いたと言われているのだ。また、実際に軍配を使って指揮する人を軍配者と呼ぶこともある。
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大相撲で行司が使っている軍配。この軍配が初めて使われたのはいつなのか。そしてどのような意味合いがあったのだろうか。
以外にもあまり知られていない軍配について解説する。そして軍配にこめられた秘話なども合わせて紹介していく。
軍配と聞いてまず思い浮かぶのは、やはり大相撲の軍配だろう。この軍配は、相撲の行司が立合いや勝負の勝ち負けを言い渡す際に使用されている。
では軍配はいつから使われるようになったのだろうか。その昔、武将が戦の際に指揮するためにうちわを使用したのが、その始まりだと言われている。軍配うちわの略語であり、戦の際に方角を見極めて陣形を配置する際にうちわを用いたと言われているのだ。また、実際に軍配を使って指揮する人を軍配者と呼ぶこともある。
室町時代末期から、合戦で指揮をとる際に棒などを持ち、それを振るといった行動が見られるようになってくる。昔から軍兵の指揮を執る際にはふさに柄をつけた“采配”という道具を使用していたようだが、これが時代とともに変化し、うちわを使用するようになってくる。
では、なぜうちわを使うようになったのだろうか。それは、戦の場合、軍陣をどこに配置するかといった場合に方角をみて決めていたことに由来する。正確に方角を確かめるために、うちわに方位や十二支などを箱押ししたものが用いられるようになったのだ。それだけでなく、武将などの肖像画を描いたものも残されており、うちわに華やかさをつける風習もあったようだ。
軍陣を仕切るものにとって、自陣をいかに勝利に導くかが一族の将来にかかわるため、きわめて重要な役割を担っていたと思われる。出陣する日取りやどこの自陣を配置するかなど、方角で吉凶を占っていたのだ。うちわには、古く昔から、悪いものを追い払うという意味合いがあり、霊威を呼ぶという意味あいもあることから、神事にも広く用いられてきた。自陣にやる気を見せ、勝利を呼び寄せるための象徴として、うちわは戦の大将が持つ大事な道具として存在するようになった。
このような軍配には色々な形があったようだ。円形のものから瓢箪型のもの、楕円形のものまで様々だ。そして、羽にあたる部分には漆塗りの革で作られたものから木材、鉄製のものまであり、特に柄の部分は頑丈であることが求められたことから鉄製のものが多かったのだ。江戸時代には兵法軍学が用いられてくることから、占いによる必要性が薄れてきた。したがってその意味合いは変化し、主に儀式的なものとしての装具として取り扱われるようになっていった。
大相撲に欠かせないのが行司が持つ軍配だ。大相撲では行司がまず軍配で力士同士を立合いさせ、立ち上がる瞬間に軍配を上げることで始まる。また、勝負が決した際に勝敗を告げるため、勝利した力士に対して軍配を向けるというのも大切な仕事だ。
では、いつから大相撲で軍配が使われるようになったのか。実は戦国時代までさかのぼる。その時代に武士たちが相撲をとるときに、行司役をした武士が軍配を使用していたのだ。
幕内格行司の木村寿之助さん。彼が使用する軍配は、各界の中でも最高級のものが使われている。
現横綱白鵬関と後援関係者らから送られたこの軍配は、常にトップを目指せるようにそれぞれの中で一番のものが取り入れられている。1つは軍配に描かれている蒔絵だ。この蒔絵は、白鵬関が選んだ黄金色をした鳳凰が表に。そして裏側には横綱昇進の際の口上"精神一倒"が書かれている。
また、輪島塗は人間国宝、文字は第27第木村庄之助氏となっており、それぞれトップのものが詰め込まれている。軍配の価格は、序の口で6.5万円、幕内では100万くらいまでが相場だが、寿之助さんが使用する軍配はそれをはるかにしのぐものだ。寿之助さんの夢は、この軍配で白鵬関の取り組みを裁くこと。その夢が果たされるのはいつの日になるか楽しみだ。
以上、大相撲の軍配について紹介してきた。初めに使われたのは戦国時代までさかのぼる。昔からの名残が今尚生き続けているのだ。
大相撲観戦をする際には行司の軍配にも注目してみてはいかがだろうか。