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大相撲界で期待される大型力士・輝関の注目ポイントを解説します!

2017 3/22 18:28茶色野うさぎ
大相撲,ⒸShutterstock.com
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

大相撲では、今後の飛躍が期待される若手力士が続々と登場している。大型力士として期待の高まっている輝(かがやき)関の経歴やエピソードを紹介しよう。

輝(かがやき)関の幼少期

輝関は本名を達綾哉(たつ りょうや)といい、1994年6月1日に3人兄弟の末っ子として石川県七尾市に誕生した。父親はトラック運転手でいたって普通の家庭に育ち、生まれた時もとくに大きくもなかった。
同い年の子供たちと比べて、あきらかに大きくなってきたのは幼稚園くらいからで、制服の一番大きなサイズがキツく感じるようになる。石崎小学校に入学すると1年生から相撲を始め、順調に成長し、中学1年になるころには身長183センチの立派な体格になっていた。

輝関、中学校を卒業して高田川部屋へ

中学生で180センチを越え、体重も100キロオーバーとなっていた輝関は、めきめきと頭角を現していく。中学3年のときに迎えた全国都道府県中学生選手権大会では、個人・団体で優勝を果たして2冠という成績を収めた。
翌年の2010年には中学校卒業のタイミングで高田川部屋に入門、三月場所の新弟子検査を受けて合格し本名の「達」というしこ名で初土俵を踏んでいる。この時点で身長193センチ、145キロという恵まれた体になっており、部屋の三段目力士とも互角の勝負ができるほどの実力を身につけていた。

輝関、デビュー後の経歴

デビュー後は安定した強さを見せ、翌場所には序ノ口11枚目として正式に番付に乗る。負け越しを一回挟むが8場所で幕下に昇進するなど、順調に成長しているように見えた。しかし2012年から2013年にかけては、幕下の上位と下位をいったりきたりと足踏み状態になる。このころは弱気になる部分もあったようだが、親方の助言と基本を徹底することで立ち直る。
2014年十一月場所で十両に昇進するとしこ名を「輝」に改め、2016年一月場所で初の入幕を果たす。この時は4勝11敗で十両に陥落するが、七月場所以降は再入幕して4場所連続で幕内の地位を守っている。

輝関の相撲の取り口

輝関の注目ポイントとして挙げられるのは、恵まれた体を生かしたスケールの大きな取り口だ。基本的には長い腕を使っての突き押しをよく見せるが、高田川親方からはまわしをとっても相撲を取れる器用さがあり、突き押しても差してもとれるはずだと太鼓判を押されている。
初入幕したころは長身力士にありがちな腰高なところも見せていたが、2016年の後半にかけては突っ張ってから中に入る相撲や、もろ差しを狙う相撲など取り口の変化も見られるようになっている。相撲の変化とともに、幕内にも定着できるようになってきており、今後の成熟が期待されている。

輝関にまつわるエピソードあれこれ

十両昇進を機に「輝 大士(かがやき たいし)」というしこ名に改めるが、これは地元である石川県を走る北陸新幹線「かがやき」にあやかったものだ。似たしこ名に「勢(いきおい)」関という力士がいるが、特に関係はないようだ。
同じ石川県出身力士として遠藤関とは関係が深く、中学校の先輩後輩の間柄だ。4歳違いのため一緒に中学校で過ごしたわけではないが、輝関にとってはあこがれの存在で対戦する際は意識するようだ。石川県の金沢巡業では二人を目当てにたくさんのファンが集まり、握手会や写真撮影会は盛り上がる。

まとめ

大型新人として期待される輝関。インタビューではあまり多くを語らないようだが、相撲のスケール感は非常に注目されている。