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大相撲力士・琴勇輝の生い立ちや成績を解説

2017 3/22 18:27まるちゃん
相撲,ⒸShutterstock.com
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Photo by J. Henning Buchholz / Shutterstock.com

大相撲は横綱と大関、関脇に小結といった力士たちが見せる、迫力のある取組に人気が集まる。しかし、それらを除いた地位にある前頭の取組も熾烈であり、三役を狙った戦いが繰り広げられている。前頭六枚目の力士・琴勇輝にスポットを当て、生い立ちや成績などを紹介していく。

大相撲力士の琴勇輝の生い立ちとは

1991年4月2日、香川県丸亀市で生まれた琴勇輝。小さな頃から相撲が大好きだった少年は垂水小学校に通う4年生の時、香川県善通寺市にある“香川相撲クラブ”の門をたたき入部した。
しかし、中学へと進学する際、近辺には相撲部で有名な学校がなかったため、小豆島高校相撲部の田中栄一郎監督を頼って小豆島町(当時は内海町)へと移り住む。そこで田中栄一郎監督の勧めで海町立内海中学校へと入学。3年生では生徒会長も務めるなど、相撲やスポーツだけではなく学業も優秀な生徒として成長していく。

小豆島で過ごした琴勇輝の高校時代

やがて、相撲部のある香川県立小豆島高等学校に進学した琴勇輝。1年生の夏に開催された“四国四県対抗相撲選手権大会”では、少年の部で個人戦に出場し、香川県出身者として初の優勝を飾る。そして、インターハイでは団体でベスト16となり、全国高体連の海外遠征のメンバーにも選出された。
続く国体でも8強入りを果たし、香川県勢で初の快挙となった。そんな数多くの活躍もあり、さまざまな大相撲部屋から誘いを受ける。そして、九州場所で佐渡ヶ嶽部屋を見学して力士となることを決意、小豆島高等学校を中退して佐渡ヶ嶽部屋に入門した。

琴榎本勇起の四股名で初土俵となった琴勇輝

佐渡ヶ嶽部屋に入門した琴勇輝は、新弟子時代から練習熱心な姿勢を見せており、稽古が終わっても部屋で四股を踏むほど日々努力を重ねていく。そして2008年の春場所、四股名を琴榎本勇起として初土俵を踏む。
序ノ口と序二段、三段目と2場所で順調に通過し、1年後の2009年春場所では幕下へと昇進する。夏場所では琴勇輝一巖に四股名を改め、名古屋場所では三段目に落ちるもすぐに幕下へと戻ってくる。そして、2011年の初場所と春場所で好成績を収め、夏場所では幕下上位の東5枚目へと昇進した。

新十両として挑んだ力士の琴勇輝

新十両となった2011年の秋場所では9勝6敗で勝ち越し、2012年の春場所で西の前頭筆頭まで番付を上げる。幕内の期待が高まったが、残念ながら十両に上がって初の負け越し。続く夏場所は6日目に右膝を負傷して休場、11日目には復帰するも5勝に終わった。
しかし、その後は名古屋場所、秋場所、九州場所と勝ち越し、香川県出身の力士として4人目となる幕内昇進を達成する。その後入幕するも、2013年の初場所では十両に陥落。その悔しさをバネに同年の夏場所では自身初となる十両優勝を果たす。この優勝は香川県出身者の十両力士として58年ぶりの快挙となった。

琴勇輝のケガと復活

2013年の名古屋場所で西前頭12枚目となった琴勇輝。幕内で自身初の勝ち越しを達成し、秋場所では西前頭9枚目に昇進する。しかし同年の九州場所の徳勝龍戦で、左膝前十字靱帯損傷と左膝蓋腱断裂のケガを負ってしまう。
その後、手術をして入院し、リハビリに励んで2014年に退院。稽古と努力の甲斐もあり、九州場所では幕内へと戻ってくる。そして、2015年には自己最高位の東前頭6枚目へと昇進した。2015年の勝敗も春場所以外は見事に勝ち越しと、2年前のケガからの復活となった1年だった。

まとめ

琴勇輝本人の希望もあり、出身地は中・高学生時代を過ごした小豆島町出身となっている。 2つの地元、香川県丸亀市と小豆島の期待を背負った力士として注目されている。