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大相撲の聖地を知り、その歴史を紐解いてみよう。

2017 2/16 19:10
大相撲
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Photo by J. Henning Buchholz/Shutterstock.com

日本の国技として広く親しまれている大相撲には、古来から長きにわたって続いてきた歴史や伝統がある。 現在のような興行に至るまでには、行われる場所の変遷もあったのだ。 ここでは大相撲の聖地と言われている場所を取り上げて、その理由や歴史を紐解いていく。

本場所の半分が開催される「国技館」

大相撲の聖地としてまず挙げられるのが国技館だ。 大相撲の興行には、大きく分けて本場所と地方巡業がある。本場所は力士の番付を左右する大相撲の公式戦で、1年間に6回開催されている。その中で、1月の初場所、5月の夏場所、9月の秋場所と、半数に及ぶ3回もの本場所が行われているのが「国技館」なのだ。
国技館は東京都墨田区にあり、通称として「両国国技館」と呼ばれている。ボクシングなど格闘技の試合や、スポーツ以外のイベントにも使用されているが、大相撲の本場所が開催されていることで認知度が高い施設だ。

国技館の歴史を遡る。「回向院」とは?

1657年、江戸は明暦の大火によってその大半を焼失した。振袖火事、丸山火事とも呼ばれる大火災で、失われた命は10万人とも伝えられている。被害者の多くは身元が分からず、当時の将軍・徳川家綱の命により、手厚く葬られたのだ。この時設けられた「万人塚」と御堂が回向院の始まりとなっている。
相撲はこの頃、寺社の建築や修繕などの募金を目的とした「勧進相撲」が行われていた。当初はそれぞれの寺社の境内で行われていたが、1833年以降は回向院が定場所となった。相撲人気が高まり、勧進大相撲という言葉が生まれたのもこの頃と言われている。「回向院相撲」は76年間続き、日本相撲史に名を残した。

初代国技館の誕生。そして2代目国技館へ

1909年、それまで「回向院場所」が行われていた境内に、初の常設相撲場として、初代「国技館」が建設された。天候に左右される小屋掛けの時代は終わり、安定した興行が可能になったのだ。これに伴って制度や規則が整えられ、相撲は近代スポーツ化が進んでいく。
この後、国技館は1917年に出火によって全焼し、1923年の関東大震災、1945年の東京大空襲と焼失に見舞われるが、その度に再建を果たしてきた。
初代国技館は後に日本大学講堂となり、国技館の歴史は2代目へと引き継がれることになる。1984年、場所を移して2代目の国技館が完成し、翌年1月から本場所が開催されている。

相撲の街「両国」

国技館がある街「両国」も、大相撲の聖地として良く知られている。 両国駅の南西側には回向院があり、近辺には旧国技館跡の説明板が建てられている。駅から回向院へと続く国技館通りには、歴代の横綱のブロンズ像と手形が数箇所に設置されていて、散策をしながら大相撲の歴史を辿ることができる。 相撲部屋が数多く置かれているこの街には、力士向けのキングサイズの服や履物を扱う店などもあり、街の中で力士を見かけることも少なくない。
ちゃんこ料理店や相撲にちなんだ商品を扱う店舗も軒を並べていて、食事や買い物でも相撲に触れることができる「相撲の街」なのだ。

両国の観光スポット

まずおすすめしたいのは、国技館の隣にある「江戸東京博物館」だ。 「東京ゾーン」には明治維新や関東大震災などの展示があるほか、「江戸ゾーン」には絵図や浮世絵、ジオラマや実物大の長屋の模型などがあり、タイムスリップしたかのような感覚を楽しむことができる。
次は国技館の北側にある「旧安田庭園」だ。鯉や亀が生息する池の周りを散策路が囲む広大な日本庭園で、無料で開放されている。都会の真ん中で自然と触れ合える憩いの空間だ。 「回向院」には力塚やねずみ小僧の墓などもあり、国技館の中にある「相撲博物館」には化粧廻しの展示などもある。

まとめ

大相撲の聖地と言われている場所には、大相撲を愛し、支え続けてきた人々の思いがあふれている。 長い歴史の中で、力士や大相撲に関わる人々の努力と、ファンや支援者などの尽力は、絶えることなく今なお続いているのだ。 日本のスポーツであり伝統文化でもある大相撲を、聖地と共に応援していきたいものだ。