九重部屋とは
九重(ここのえ)部屋は、日本相撲協会所属の相撲部屋で、高砂一門に属している。
昭和43年に千代の山によってつくられた部屋で、所属する力士は三段目に昇段すれば師匠の四股名から「千代の」という冠がもらえることが特徴だ。入門した力士はまず「千代の」の冠がついた四股名をもらうために精進することになる。
部屋の方針は「怪我はさせずに、無理はさせない」こと。そのため、所属力士は休場することもしばしば。押し相撲を信条としている。以前は優勝10回の北の富士、優勝31回の千代の富士、優勝8回の北勝海と3人の横綱がいたのだが、現在ではなかなか結果が出ていないようだ。九重部屋に所属した力士が優勝した回数は総計で51回。これは他の部屋を圧倒する数字だ。
九重部屋の歴史
九重部屋は昭和43年に当時横綱の千代の山の師匠、九重親方が出羽海部屋から独立したことをきっかけに誕生する。これは、出羽海一門から破門され、高砂一門となるという異色の誕生だった。
部屋ができた年の初めての本場所である春場所にて、大関の北の富士が14勝で優勝。横綱である大鵬を破っての初優勝だった。この後も着々と結果を出し続け、3年後に横綱に昇進する。引退した後は年寄井筒を襲名、井筒部屋を作る。
しかし、千代の山は51歳という若さで亡くなってしまう。空中分解寸前だった井筒部屋を以前より繋がりがあった九重部屋が吸収し、北の富士が引き継ぐことになる。
九重部屋の黄金時代
その後は九重部屋の黄金時代ともいえる時代を迎える。所属力士である千代の富士、北勝海が横綱昇進する。この二人の力士は圧倒的な強さを誇った。昭和60年から平成元年まで、九重部屋以外の力士が優勝したのは10場所にも満たないほどだ。
平成2年には千代の富士が引退。その次の年には九重部屋を引き継ぐことになる。その年の秋、のちに新入幕から10場所たらずで初優勝することになる千代大海が入門する。この初優勝は当時絶大な人気を誇った若乃花を優勝決定戦で下して、劇的な逆転優勝というドラマのような衝撃的な幕切れだったので話題になった。
その後、千代大海は大関まで昇進するが、自身の成績不振、身体の状態、千代の富士が亡くなったことなど様々な要素が重なったことをきっかけに現役を引退し、九重部屋親方を引き継ぎ、現在に至る。
まとめ
このように九重部屋は古い歴史の中で破門と合併・吸収を経験してできた異色の相撲部屋だ。
圧倒的な強さの力士を生みだした黄金時代があったものの、現在はなかなか成績は振るわず、横綱を出せていない。
今後の九重部屋所属の力士がもっと力をつけて、また昔のような黄金時代をつくってくれることに期待しよう。