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平成30年 大阪桐蔭史上初2度目の春夏連覇【平成スポーツハイライト】

2019 1/16 07:00SPAIA編集部
甲子園球場,ⒸShutterstock.com
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Photo by tak36lll/Shutterstock.com

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前年夏の甲子園でできた大きな「借り」

平成最後の夏の甲子園。大阪桐蔭の2度目の春夏連覇は、長い高校野球の歴史上でも初めて達成された偉業だ。秋のドラフトでプロに4人輩出した「最強世代」の栄光への道のりは、前年夏のショッキングな敗戦から始まった。

平成29年夏の甲子園3回戦。同年春のセンバツを制し、根尾昂、藤原恭大ら「最強世代」の2年生もレギュラーに名を連ねていた大阪桐蔭は、仙台育英を追い詰めていた。1点リードで迎えた9回2死一、二塁、ショートゴロの送球を捕ったファーストの2年生・中川卓也が勝利を焦ったのか、一塁ベースを踏み損ねるというミスを犯した。九死に一生を得た仙台育英は、続く打者が同じく大阪桐蔭の2年生・柿木蓮から左中間を破る二塁打を放ち、一気に二者生還。大阪桐蔭は悪夢のようなサヨナラ負けを喫した。

ベンチ前で号泣しながら仙台育英の校歌を聞いた中川は、新チームの主将になった。あの時の悔しさを決して忘れず、「甲子園での借りは甲子園でしか返せない」と自分のせいで先輩たちが成し遂げられなかった春夏連覇を早くから意識していた。

平成30年センバツ。V争いの本命に推された大阪桐蔭は順当に勝ち上がり、決勝では智弁和歌山を破って優勝した。春2連覇は昭和4、5年の第一神港商、昭和56、57年のPL学園以来、3校目の快挙だった。

最も苦戦したのは北大阪大会の履正社戦

そして迎えた雪辱の夏。この1年で大阪桐蔭が最も苦戦した試合は甲子園ではなく、北大阪大会準決勝のライバル・履正社戦だった。

履正社は公式戦初登板の濱内を先発させる奇襲作戦。強打の桐蔭打線がその濱内を打ちあぐね、6回まで両校無得点だった。7回に桐蔭が先制したものの8回に逆転を許し、3-4で迎えた9回表無死一塁からバント失敗で併殺。あと一人のところまで追い詰められた。

しかし、ここから執念を見せる。2番・宮崎から中川、藤原、根尾が粘って4連続四球を選び同点。続く山田の2点タイムリーで勝ち越し、辛くも履正社を振り切った。大阪学院大との決勝は23点を奪う大勝で甲子園出場を決めた。

甲子園では1回戦で98回大会の覇者・作新学院を破って波に乗り、沖学園、高岡商、浦和学院、済美を撃破。決勝でぶつかったのは秋田県勢として103年ぶりに決勝進出した金足農だった。

エースの吉田輝星は県大会から一人で投げ抜いており、端正なマスクもあって人気沸騰していた。

しかし、桐蔭打線は容赦なく序盤から吉田に襲い掛かる。初回に3点を先制すると、4回にも3点、5回には根尾の2ラン、藤原の二塁打など打者一巡の猛攻で6点を奪い、吉田をノックアウトした。結局13-2の圧勝で史上初の2度目の春夏連覇を成し遂げた。

4人がドラフト指名

「最強世代」が文字通り、最強を証明した大阪桐蔭。プロ志望届を提出した4人はいずれもドラフト指名された。

根尾は中日1位、藤原はロッテ1位、横川は巨人4位、柿木は日本ハムから5位指名。同一高校から4人指名されたのは平成13年の日大三以来、最多タイだった。ただ、日大三はいずれも下位指名だったことから、「最強世代」がいかに逸材揃いだったかよく分かる結果となった。

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