郡司裕也が史上14人目の三冠王達成
11月4日に閉幕した東京六大学野球秋季リーグでひとつの快挙が生まれた。先日行われたドラフト会議で中日から4位指名を受けた慶応大の郡司裕也が、戦後14人目となる三冠王に輝いたのである。
郡司は全11試合に出場し、打率.394(33打数13安打)、2本塁打、10打点と文句なしの成績。チームを優勝に導き明治神宮大会への切符を手に入れた。大学最後の戦いで自身初めてとなる大学日本一を目指すことになる。
さて前述の通り、戦後において東京六大学で三冠王は郡司で14人目。これまでの13人のうち10人がプロ入りを果たしている。その偉大なる先輩たちはプロ入り後にどのような成績を残しているのだろうか。
後藤寿彦はアマチュアの指導者として活躍
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戦後最初の三冠王は慶応大の衆樹資宏だった。湘南高校、慶応大とエリートコースを歩んだ衆樹は1957年に大毎(現・ロッテ)へと入団する。ドラフト制度ができる前のことである。その後、阪急、南海と渡り歩きタイトルの獲得こそないが、991試合に出場し一定の成績を残している。
その後、立教大の槌田誠が2人目の三冠王を達成。1966年第二次ドラフト1位で巨人から指名され入団する。巨人、ヤクルトの2球団で479試合に出場するが、大きな実績を残すには至らなかった。
3人目となる慶応大の後藤寿彦はプロ入りをせず、社会人野球の門を叩く。現役を引退後は慶応大や西濃運輸、JR西日本、日本代表の監督を歴任。アマチュア球界に大きく名前を残した。
岡田彰布、高橋由伸、鳥谷敬ら名選手がズラリ
4人目は早稲田大学の岡田彰布だった。岡田には1979年のドラフト会議で6球団が1位で入札し阪神が抽選の末に獲得。その後は主軸としてチームを引っ張り1985年には球団創設以来初となる日本一にも大きく貢献。現役引退後も監督として阪神を優勝に導いている。
この岡田からは、NPB入団後に大きく実績を残した選手が多い。小早川毅彦(法政大学→広島)、高橋由伸(慶応大学→巨人)、そして鳥谷敬(早稲田大学→阪神)もいる。いずれもチームを代表する選手となったと言っていい存在だ。
また、彼らほどの実績は残していないものの、廣瀬純(法政大学→広島)後藤武敏(法政大学→西武)もまずまずの数字を残した選手として数えていいだろう。
一方で選手としては結果を残すに至らなかったのが大森剛(慶応大→巨人)である。1989年ドラフト1位で巨人へと入団。1年目から38試合に出場したが、その後はこの試合数をこえることができず1998年に近鉄へ移籍。近鉄でも結果を残すことないまま1999年に現役を引退。通算132試合の出場にとどまり、不完全燃焼でユニフォームを脱ぐこととなってしまった。しかし、現役引退後に巨人のスカウトに着任すると坂本勇人の獲得に尽力。違う形でチームへと貢献した。
直近の三冠王である杉山翔大(早稲田大学→中日)は2012年ドラフト4位でプロ入りを果たしたが、今シーズン限りで戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトを受験予定となっており、来シーズン以降も現役続行を目指すつもりだ。
歴代の東京六大学三冠王のその後は三者三様だが、多くの名選手も誕生している。選手としては大成しなかったもののスカウトとして結果を残した大森や、アマチュア球界の指導者として名を馳せた後藤寿彦のようなパターンもある。
はたして郡司は史上14人目の三冠王として、NPBでどのような成績を残してくれるのだろうか。
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