「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

慶応大学野球部・大久保監督インタビュー①「早慶戦は特別」

大久保秀昭,ⒸSPAIA
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA


プロ野球のオープン戦が本格化し、ファン待望の野球シーズンが近づいてきた。今回はシーズン開幕を控えた慶応大学野球部の大久保秀昭監督(49)にSPAIAが単独インタビュー。アマチュア球界で数々の実績を挙げてきた名将が、今季への意気込みやこれまでの野球人生、影響を受けた人物などについて大いに語った。3回に分けてお届けするインタビューの第1回は早慶戦の重みや恩師について。

早大・小宮山監督と“代理戦争”

――今シーズンの開幕が近づいてきましたが、手応えはいかがですか?

大久保監督(以下、大久保):1年から出てる選手が2人いるし、2年から主力の選手もいるから、ピッチャーも含めて神宮慣れしてる強みはあると思います。でも、ずっと3割打ってた訳じゃないですからね。最上級生になって上積みしてくれたら断トツで抜けるくらいの力はあるかなと思いますけど。

――ピッチャーはダブル高橋が軸ですか?

大久保:そうですね。昨年の秋は左の髙橋佑樹(新4年、川越東)がエース。昨年の春は右の髙橋亮吾(新4年、慶応湘南藤沢)がエースでした。まさしく左右の両輪ですね。

――野手はどうですか?

大久保:主将でキャッチャーの郡司裕也(新4年、仙台育英)が中心です。慶応の今の成績は郡司がレギュラーを取ってからの成績と言ってもいいくらい、勝ち点を積み上げてきたキャッチャーですから。

――大阪桐蔭から入った福井章吾(新2年)は?

大久保:めちゃくちゃいい選手ですよ。記憶力のいいキャッチャーなんで、ピッチャーが投げやすいタイプ。郡司を追いやるまではいきませんが、遜色ないです。リーダーシップがあって、バッティングも良い。

――今年からライバル・早稲田大学の監督に、プロ野球やメジャーリーグで活躍された早大OBの小宮山悟さんが就任しました。対抗意識は強いですか?

大久保:小宮山さんでなくても対抗意識は強いです。早慶の歴史は野球の歴史でもあるので、選手には早慶戦にどれだけの価値や重みがあって、その野球部でやる意味や早慶戦の歴史は特別だということをわかってほしい。

――プロ野球の阪神―巨人戦みたいなものですね。

大久保:そうですね。何かと比較されるし、優勝しなくても早稲田に勝てばいいという人もいるくらいです。阪神―巨人戦よりも早慶戦は長い歴史がある。それをわかれと言っても難しい部分もありますが、選手たちにはきちんと説明しています。

――小宮山さんとは直接対戦してるんですか?

大久保:学年は僕が二つ下なんで大学時代は対戦してますよ。プロでは僕があまり出てないから記憶にないけど。

――歴史が巡って、監督として対戦するなんて思っていなかったのでは?

大久保:不思議なもので、小宮山さんは石井連藏さんを崇拝してるんです。僕の恩師は前田祐吉さんです。若かりし頃に早慶六連戦※で対決した監督同士なんですよ。

――さながら代理戦争ですね。

大久保:小宮山さんは解説で来られてたけど、中に入るのと上から見てるのでは印象が違うんで、どんなチームを作られるのか楽しみです。学生野球ってこんなに大変なんだと苦労されると思います。部員が計200人近くいて、全員をきちんと管理、指導してないとうまく回らないんです。ユニフォームを着ることを諦めてる選手も当然いるし、諦めた時のチームへの関わり方とか、いろいろ大変です。

早慶六連戦…1960年秋のリーグ戦で首位・慶大と2位・早大が優勝をかけて激突した伝説の6連戦。1回戦は早大、2回戦は慶大、3回戦は早大が勝って首位で並ぶと、優勝決定戦は2試合連続引き分けとなり、第3戦(計6戦目)で早大が勝って劇的な逆転優勝を果たした。当時の監督が早大・石井連藏、慶大・前田祐吉だった。

僕と出会えてよかったと思われる存在になりたい

――大学時代の監督だった前田祐吉さんから一番影響を受けたことは何でしょうか?

大久保:野球じゃなくてベースボールということ。根性論を好まず、野球バカになるなとおっしゃってました。日本の軍隊式の野球ではなく、エンジョイベースボールを提唱されていました。

――暴力もなかったんですか?

大久保:全くないです。温厚な方でした。時々、かんしゃくを起こすことはありましたけどね。一度、雨の日に僕が応接室で新聞を読んでて、小桧山(雅仁、元横浜ベイスターズ)とか当時のエースが投球練習を始めてるのにキャッチャーがいない、ってなったんです。前田監督が探しに来たら僕が新聞を読んでたんで、激怒してジャンピングニーパットされました(笑)。あの時で60歳くらいだったかなぁ。

――当時の指導者としては斬新な考え方だったんですね。

大久保:社会人の時も家が近かったから、よく車で送って帰ったり、いろいろな話をしたのはすごく幸せな時間でした。大好きで尊敬できる方と出会えたので、今の学生たちにも僕を好きになってほしいとは言わないけど、僕と出会えてよかったなと思ってもらえたらいいなと思いますね。今は思わなくても大人になってからそう感じたらいいなとか。

――みんな、そう思ってると思いますよ。

大久保:いやいや、そのために魅力的な部分がないといけないし、信じられるものもいるし、成績もついてこないといけない。僕の一方通行にならないようにします。

――人間的な部分だけでなく、データを活かした指導もされていますね。

大久保:林卓史前助監督が数字が好きだったのが大きいですね。助監督は昨年で退任しましたが「ラプソード」という解析システムは継続して活用しています。僕が監督になってからデータスタジアムとも契約して、今はどこの大学もやっていますよ。

――投手のボールの回転数はどれくらいが目安なんですか?

大久保:林前助監督の測定では、神宮で抑えられる目標値が2400回転で140キロ。一昨年の秋にブレークした佐藤宏樹(新3年、大館鳳鳴)という左腕が143キロ前後で伸びるような回転でした。去年はケガでダメだったけど。1年秋にその数値をアベレージで出していました。

――回転数を上げるにはどうしたらいいんでしょうか?

大久保:指の力を鍛えるのか、ボールを離す位置なのか、そこの正解は出てないですね。誤差もあるし、回転数を上げるだけでいい訳じゃないけど、感覚論だったのが可視化できるのは大きいです。

――打球速度の目安は?

大久保:これも林前助監督が言うには、160キロだと長打が出やすいとされています。基準を満たしてる選手は何人かいますよ。毎日、打撃練習で測った打球速度を学生コーチがエクセル表に記入して僕のスマホに送ってくれるんです。160キロ以上は赤字になっています。他にもバットの入射角とか、バレルゾーンとか、いろんな指標がありますが、打球速度を一番意識してやっています。

――慶応はリーグ通算1198勝(855敗)なので、あと2勝で早大、明大に次いで史上3校目の1200勝です。

大久保:へぇ。それは知りませんでした。開幕戦から連勝して決めたいですね。

大久保秀昭(おおくぼ・ひであき)1969年7月3日、神奈川県生まれ。
桐蔭学園高(神奈川)時代は主将として3年夏は県8強。慶大に進学し、4年時に主将として春秋連覇。東京六大学リーグ通算100試合に出場し、打率.269、5本塁打、50打点。日本石油では1年目からレギュラー捕手として在籍5年間のうち社会人ベストナインを4度受賞。96年のアトランタ五輪に出場し、銀メダル獲得。同年秋のドラフトで近鉄から6位指名を受け、プロ入り。2001年オフに現役引退した。
プロ通算83試合に出場し、打率.232、2本塁打、11打点。翌年から近鉄球団職員(広報)、湘南シーレックスの打撃コーチを経て、2006年から新日本石油ENEOSの監督として都市対抗3度優勝。15年から慶大監督として指揮を執り、17年秋、18年春に連続優勝。今季で5年目となる。


〜 慶応大学野球部・大久保監督インタビュー②「忘れられない落合氏の言葉」に続く