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ソフトボールの宇津木妙子監督の功績をご紹介

2017 3/3 18:51
ソフトボール 監督
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出典: http://takasaki.keizai.biz

北京オリンピックで優勝したその瞬間、ソフトボールの選手たちが解説席にいた宇津木妙子さんに向かって、ガッツポーズを見せたシーンは印象的だった。そんな選手たちからも信頼される、元日本代表の宇津木妙子監督の生い立ちや功績を紹介していく。

宇津木妙子監督の生い立ちとソフトボールとの出会い

1953年4月6日、埼玉県比企郡川島町(当時は中山村)に生まれた宇津木妙子監督。元気にすくすくと育った宇津木妙子さんは、埼玉県川島町立川島中学校に入学。1年生のときにソフトボールをはじめる。その後もソフトボールを続け、星野女子高等学校に進学し三塁手として活躍。
1972年に卒業後した宇津木妙子さんは日本ソフトボールの女子1部リーグだった、実業団のユニチカ垂井に入社。日々練習をこなしソフトボール部で実力を重ねていく。

ソフトボール選手から指導者としてスタートした宇津木妙子監督

実業団に入り成績を重ね、1974年には日本代表として最年少で世界選手権に出場。準優勝に大きく貢献した。現役時代は“瞬発力の宇津木”と呼ばれ、観客を魅了する選手だった宇津木妙子さん。10年ほど活躍した1985年にソフトボール選手を引退した。
その後ジュニア日本代表コーチをへて、日本リーグのルネサスエレクトロニクス高崎(入団当時は日立高崎)に監督として就任する。ここから宇津木妙子監督はソフトボールの指導者として、新たな道がスタートした。

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