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U20日本、W杯決勝1回戦で敗退 前半圧倒も韓国の戦術変更に対応できず

2019 6/5 15:11中山亮
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宮代、郷家、藤本が復帰

FIFA U-20ワールドカップ2019決勝トーナメント1回戦、日本代表対韓国代表の試合は0-1で敗戦。日本は2大会連続で決勝トーナメント1回戦で姿を消すこととなった。

日本代表はグループステージを無敗で突破したものの最終節で負った負傷により田川(FC東京)、斉藤光毅(横浜FC)の2人がチームを離脱。しかし怪我をしていたと言われていた宮代(川崎F)、郷家(神戸)、藤本(東京V)が復帰したことで極端な戦力低下は避けられた。

1トップには宮代、トップ下郷家、右SH西川(桐光学園・C大阪内定)、左SH山田(横浜FM)で2列目。守備的MFに藤本と齊藤未月(湘南)、最終ラインには右サイドから菅原(名古屋)、瀬古(C大阪)、小林(神戸)、鈴木(湘南)が並び、GK若原という4-2-3-1の布陣を取った。

一方、苦しみながらもグループステージを突破してきた韓国代表は、日本の攻撃力を警戒してか5バックを採用。前線には高さのあるオ・セフンとスペインリーグバレンシアの下部組織から今季トップチームに昇格したイ・カンインが並ぶ5-3-2となる。

前半は日本が終始圧倒

前半立ち上がりから日本がボールを保持し試合を進めた。20分頃に日本は西川と郷家のポジションを入れ替え西川をFWにした4-4-2に変更する。韓国はさらに受けに回るしかなくなり、守備時にイ・カンインが右サイドをカバーする5-4-1へと変更。

前半最後の局面では韓国守備陣が身体をはりなんとか0-0で折り返したが、日本がボール保持率72%を記録していたように韓国にほぼ何もさせない前半だった。

韓国は後半開始からオム・ウォンサンを投入し布陣も4-4-2へ変更。前半の守備的な戦い方から一変しアグレッシブに攻撃を始めるようになる。

この韓国のシステム変更は当初から予定していたプランだったかは微妙なところだろう。というのも確かに韓国は攻撃ができるようになったが、日本はまだこの時点ではチャンスを作っていたからだ。

韓国のフォーメーション変更に対応できず

そして後半開始早々の50分、日本は郷家のシュートで韓国ゴールネットを揺らす。しかし、これは直前のプレーで宮代がオフサイドだったことがVARで確認されノーゴール。日本は先制できなかった。

この後も日本は77分に小林のヘディングシュートや、78分には右サイドを切り裂いた中村(G大阪)がシュートを放ち、そのこぼれ球から宮代が狙うなど決定機を作っている。ただ、4-4-2となった韓国に攻守の切り替えで上回られ、徐々に試合をコントロールすることができなくなっていた。

その結果、左SBの鈴木が右サイドに入ったオム・ウォンサンに1対1で仕掛けられる場面が続出。ボールを保持しセットすることができれば、日本はチャンスをつくることができたのだが、それ以前に韓国の4-4-2アタックに対して、どの様に対応するのかが最後まで曖昧なままだった。攻守の切り替えで圧倒され、セットオフェンスに持ち込むことができなくなっていたのだ。

すると84分、今大会を通じてここまで好プレーを見せていた菅原がミスパスでボールを奪い返されたところから、左に開いたチェ・ジュンのクロスをオ・セフンに頭で合わせられ失点。日本はこの1点を返すことができず0-1での敗戦となった。

ロシアW杯から問題点は変わらず

日本は韓国が行った4-4-2アタックを全く想定できていなかったのだろうか?

そう感じさせるほど、最後まで韓国のシステム変更に対応することができなかった。選手はピッチ内で混乱しながらもなんとか立て直そうとしていた様子は伺えたが、最後までベンチから適切な指示を送ることは無かった。

ピッチ内の選手に自分たちで判断させようという狙いがあったと考えることもできるかもしれないが、それであればその準備をしていたはずだ。後半の動きを見ると、個々がアドリブで判断していたようにしか見えない。ベンチから指示を送らなければ、選手全員に同じイメージを描かせることは難しい。

ロシアワールドカップ以降の日本は年代を問わず、相手が形を変えた時に対応することができないという問題点を抱えているが、このU-20日本代表でもそれは同様だった。そしてその問題は選手だけでなく準備ができていないコーチングスタッフの問題でもあるのではないだろうか。

久保(FC東京)、阿部(鹿島)、大迫(広島)、谷(G大阪)、橋岡(浦和)など、これまでこの世代を引っ張ってきた選手がフル代表や怪我で欠く中U-20ワールドカップを迎え、さらに大会途中には田川と斉藤光毅までも怪我でチームを離れるという厳しい大会だった。

そんな中でも、キャプテンの齊藤未月を始め選手たちはそれぞれのプレーで光ものを見せていた選手が多くいただけに、残念な試合となってしまった。