サイドを駆け抜けたパワー型DF!ゼニトのイヴァノヴィッチ
ロシアのFCゼニト・サンクトペテルブルク(以下、ゼニト)に所属するのが、ブラニスラヴ・イヴァノヴィッチだ。彼は2017年の2月までチェルシーFC(以下、チェルシー)に所属し、9年間にわたって同クラブのDFとしてプレーした。
それほどスピードに優れる選手ではなかったが、CBだけでなくチェルシーでは右サイドバックを務めることも多く、ユーティリティ性に優れたDFとして歴代監督に重宝されてきた。スピードはなくとも、相手に物怖じしない突進力や決定力もあるイヴァノヴィッチ。
サイドを駆け抜けるその様は「重戦車」という言葉がよく似合うのかもしれない。2014-15シーズンにはリーグ38試合に出場し、DFながら4ゴール5アシストを記録。同シーズンのリーグ制覇に大きく貢献した。
ゼニトに移ってからはCBとしてプレーすることが多くなり、やはりそのパワーを武器にいくつもの危機をはねのけている。
丸坊主頭から繰り出すヘディング、フェネルバフチェのシュクルテル
トルコのフェネルバフチェSK(以下、フェネルバフチェ)に所属するのが、マルティン・シュクルテルだ。フェネルバフチェに所属する前にはリヴァプールFC(以下、リヴァプール)で活躍しており、前述のイヴァノヴィッチ同様に約10年近くにわたってプレミアリーグの第一線で活躍している。
彼の丸坊主頭から繰り出される強烈なヘディングは、リヴァプールの攻撃の選択肢を増やしていたことは言うまでもない。心を捉えたボールは幾度となく相手ゴールを脅かし、2013-14シーズンにはリーグ36試合に出場し7ゴールを記録している。
DFで5得点以上を記録するのは、並大抵の話ではない。同シーズンのリヴァプールはこのシュクルテルやルイス・スアレスの活躍もあり、リーグ2位となっている。
2015-16シーズンには負傷により出場機会の減少に苦しめられるが、2016年7月にフェネルバフチェに移籍してからはスタメンに定着。2016-17シーズンは2ゴールと攻撃力は減少したものの、換えの利かない選手になった。
これだけの復活を遂げた彼ならば、まだ欧州の5大リーグやれないこともなさそうだ。
後継者の到来で遂に退団、河北華夏のマスチェラーノ
中国の河北華夏幸福足球倶楽部(以下、河北華夏)に所属するのが、ハビエル・マスチェラーノだ。河北華夏在籍以前にはリヴァプールやFCバルセロナに所属。
特にバルセロナにおいては、約10年間在籍し多くのタイトルを獲得した。かつては「ゴールできないDF」と揶揄されたこともあったが、在籍7年目、公式戦319試合目にしてPKによる初得点を記録。
不名誉なタイトルの返上にも成功している。
彼は元々DFの選手ではない。リヴァプールからやってきた当初は、ボランチであるセルヒオ・ブスケツの控えだった。ただ、このブスケツがポジションを譲ることはなく、むしろディフェンスラインの方に空きができるようになる。
するとマスチェラーノはCBとしてコンバート。そのままCBとしてプレーするのが当たり前になる。
もっとも、マスチェラーノ自身は持ち前の激しいプレッシングやパス技術を活かせるボランチでのプレーを希望し、他の欧州クラブへの移籍が騒がれることもあったのだが、バルセロナを離れることはなかった。
そして遂に2018年1月に中国への移籍が決定。彼ほどの実力があれば欧州でまだまだ活躍できたに違いない。
しかし、最後の最後までバルセロナに忠誠を近い、欧州を離れて新たな挑戦を選んだようだ。
もう1人のブラジル人SB、アドリアーノ
トルコのベシクタシュJK(以下、ベシクタシュ)に所属するDF、アドリアーノ・コレイア。かつて彼はマスチェラーノ同様にバルセロナに所属し、SBを本職にプレーした。
バルセロナでは同胞のダニエウ・アウヴェスやエリック・アビダル、ジョルディ・アルバといった名だたるSBに阻まれ、アドリアーノは彼らの控えという枠から脱することはできなかった。特に同胞のアウヴェスはバルセロナのスター選手としてもてはやされたことで、「アドリアーノの存在感が希薄だった」というサポーターも少なくないだろう。
それでも控えとしては一線級であることは間違いなく、バルセロナ特有の早く正確なパス回しにも難なく参加し、自身でボールを保持することも得意だった。
バルセロナ在籍最終シーズンである2015-16シーズンにはリーグ8試合に出場し、翌シーズンからベシクタシュへ移籍。移籍金額は60万ユーロ(約7000万円)とかなり安価になったが、彼のこれまでの功績を思えば十分だろう。
ベジクタシュでは見事定位置を確保し、彼は新しいキャリアを送っている。