リーガ以外のスペインサッカーを知ろう
スペインにおいてサッカーは闘牛やバスケットボールと並んで最も盛んなスポーツの一つだ。リーガ・エスパニョーラは世界最高峰のサッカーリーグと称され、所属クラブもレアル・マドリーやバルセロナ、アトレティコ・マドリーなどヨーロッパでも最強クラスが名を連ねる。
そんなスペインのサッカーだが、スペイン国民にどれくらい愛されているか、どのようにして国中に広まっていったかご存じだろうか?今回はそんなスペインという国とサッカーの関係について見ていこう。あなたの知らないスペインサッカーの一面を知れるかもしれない。
国民への浸透率は日本の3倍
2014年のスペイン政府統計によると、選手として登録されているのが男女合わせて87万人以上、クラブ数は21000を超える。
この年のスペインの人口が約4677万人(スペイン国立統計局)だから、サッカー選手が人口の2%を占めているということになる。それ以外にもアマチュアでサッカーを楽しむ人もいるだろうから、その割合は更に増えるわけだ。
ちなみに日本はというと、約1億2500万の人口に対してサッカー選手として登録されているのは937,893名、クラブ数は28,362だという。(日本サッカー協会2016年推計)
数字ではスペインを上回るが、母数との関係を見ると、スペイン国民へのサッカーの浸透具合は実に日本の3倍近いことがわかる。
娯楽としてもポピュラー
娯楽としてのスポーツという側面でもサッカーは高い人気を誇る。スペイン教育文化スポーツ省の機関Consejo Superior de Deportesによる統計資料「Encuesta de Habitos Deportivos en Espana 2015(2015年度国民スポーツ習慣調査)」によると、対象となった15歳以上の人のうち実に71.5%もの人が、娯楽としてサッカーを楽しんでいると回答した。
2位の自転車競技が40.9%だから、サッカーが広く浸透している程度がよくわかる。(複数回答可)
そして人々自らが楽しむアクティビティとしても、ランニングとエアロバイクに次いで第3位の人気を誇っている。2つが極めて気軽で個人でできるものであることに比べても、チームスポーツであるサッカーがこれだけ人気を誇っていることは注目に値する。
きっかけは外国人移民だった
いまでこそヨーロッパ、いや世界でも指折りのサッカー大国であるスペイン。サッカーの母国イギリスからこのスポーツが持ち込まれたのは1870年。イギリスからの移民によって、ガリシア州のビーゴと、アンダルシア州のウエルバに持ち込まれたのがはじまりとされる。1889年には初のサッカークラブ、レクレアティーボ・ウエルバが設立された。20世紀にはいるとサッカーはスペイン全土に広まったが、これも最初は各都市の外国人移民が楽しんでいたものがスペイン国民に広まっていった。
王立サッカー連盟設立、そして暗黒期へ
その後、少しずつ全国レベルの組織化がなされ、1913年には時の国王アルフォンソ13世が名誉総裁となって王立スペインサッカー連盟が発足した。
それに先立ってアルフォンソ13世は各地のサッカークラブのうちいくつかに“レアル”(王立)の名を冠することを許す。現在もそれらクラブには“レアル”の名がつくと共に、エンブレムに王冠が描かれている。
僅か30年足らずの間に国王も巻き込み全国規模のスポーツへと発展していったのである。当時の人々がいかにこのスポーツに熱狂したかがうかがい知れるだろう。
その後フランコ総統の独裁期には地方クラブが弾圧を受けるなど、暗黒期ともいえる時代を迎える。そうした中央政府と州政府の対立の代理戦の様相ももちながら、バルセロナとマドリーはライバル関係を深めていったのである。
国際大会の常連となるもタイトルとは縁遠く
ここからスペイン代表について見てみよう。スペイン代表はワールドカップ優勝経験を持つ8か国のうちのひとつ。1978年大会以来ワールドカップ本大会には連続出場を続けており、2014年大会まで14回出場を誇る。
初めて国際試合を行ったのは1920年のこと。デンマークとの初陣を1-0で勝利している。1930年代のスペイン内戦から第二次世界大戦中は代表の活動を停止していたが、1950年から活動を再開させると、強豪の一角として常に存在感を見せてきた。
初めて勝ち取った国際タイトルは1962年のUEFA欧州選手権。だがその後は92年のバルセロナオリンピックまでタイトルと無縁の日々が続いた。
スピサレッタさん、ブトラゲーニョさんやゴルディージョさん、ラウール・ゴンサレスさんなど優れた選手を擁していたが、チームとしての統一性を欠き本領を発揮できないことが長年の課題だった。
正真正銘の無敵艦隊へ
転機は2007年に訪れた。2月に行われたイングランドとの親善試合に勝利して以降、2009年間で実に35試合無敗という記録を打ち立てた。正真正銘の無敵艦隊となったのだ。この間はイニエスタ選手やカシジャス選手ら現在もプレーする名手たちが台頭してきた時代。
2008年に欧州選手権で優勝すると、2年後の南アフリカワールドカップ、そして2012年の欧州選手権と、主要国際大会3連覇の偉業を達成する。国内クラブのバルセロナが欧州最強だったこともあり、スペインが覇権をとったと言える。
2014年のブラジルワールドカップでは各国がスペイン対策を用意したこともあり苦戦し、グループリーグ敗退に終わっている。それでもスペイン代表は次回ロシアワールドカップでも優勝候補筆頭と言ってよいだろう。
女子サッカーはまだマイナー 強豪は?
男子サッカーを中心に見てきたが、スペインにも女子サッカーリーグは存在する。だが女子サッカーはスペインではまだマイナーで、フランスやドイツ、アメリカほどの盛り上がりが無い。
1988年に設立された女子リーグには、男子と母体を同じにするチームが所属している。強豪はバルセロナと、優勝最多5回を誇るアスレティック・ビルバオ、そしてレバンテといったクラブだ。意外かもしれないが、レアル・マドリーには女子チームは無い。
マドリー勢としてはアトレティコとラージョ・バジェカーノが女子チームを有しており、優勝経験もある。2016-17シーズンには5人の日本人女子選手がスペインでプレーした。
サッカーがまさに文化のひとつに
サッカーは一気にスペインの国中へと広がっていき、いまでは国民的スポーツ、そして世界的な実力を持つまでに至った。だが現在のスペインサッカーの姿になるまでには、内戦や独裁といった国難、そして州ごとの個性の強さゆえに国として団結するまでに時間がかかるなど、多くの苦難があった。
だがその間にも人々の暮らしの中へ浸透していき、生活の一部と言えるまでになっている。この暮らしに溶け込むという過程こそが、国のサッカーを強化する大切なポイントなのではないか。スペインのサッカー事情を見ているとそう思わずにはいられない。