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【MVP&得点王揃い踏み】AFCチャンピオンズリーグの歴代名選手

2017 11/10 12:24dai06
サッカー
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2003年得点王!キム・ドフンは爆撃機と呼ばれた!

2003年のAFCチャンピオンズリーグで得点王となったのが、キム・ドフン氏(以下、敬称略)だ。生年月日は1970年7月21日。

彼は当時、城南FC(以下、城南)でプレーしており、大会で9得点を挙げた。城南はこの大会で優勝することはできなかったものの、キムは大活躍だった。「爆撃機」の愛称を疑いのないものとする、強烈なゴールを連発していた。

なかでも、城南はグループステージ1stレグで対戦した、タイのオーソットサパー・サラブリーFCに6-0と完勝。そのうちの3得点をキムが決めており、爆発的な攻撃力を披露した。チームは幸先のよいスタートを切り、グループステージを2位で通過している。

キムは2005年までプレーし、その後は監督になっている。監督業ではなかなか上手くいかず、いくつかのクラブを転々とするが、2017年には蔚山現代FCの監督となり、同年のAFCチャンピオンズリーグでグループステージに進出している。
残念ながら敗退してしまったが、監督となったキムをAFCチャンピオンズリーグで観られる機会がまたやってくるかもしれない。

2005年得点王!モハメド・カロンはレンタルでの加入だった!

2005年にはアル・イテハドでプレーしていたモハメド・カロン選手(以下、敬称略)が、6得点で得点王となった。生年月日は1979年10月26日だ。

彼はシエラレオネの出身であり、同国の代表でも活躍した選手だ。シエラレオネから誕生した選手のなかではスター選手ともいうべき存在で、1995年にはインテルナツィオナーレ・ミラノ(以下、インテル)にも加入している。

インテルでは定位置を得ることができず、ASモナコに移籍。その後、アル・イテハドにレンタルに出され、AFCチャンピオンズリーグでの活躍に至るわけだ。アル・イテハドはこの2003年にAFCチャンピオンズリーグを制している。
当時、レンタルでやってきた選手が、ここまでのサプライズを起こすとは誰も思っていなかっただろう。ちなみに、愛称は「ワンダー・ボーイ」だ。

その後は自らがオーナーを務める、カロンFCなどでプレーしているようだ。

2007年MVP!永井雄一郎が万能過ぎた大会

2007年は永井雄一郎選手(以下、敬称略)がMVPに輝いた。生年月日は1979年2月14日だ。

永井は浦和レッドダイヤモンズ(以下、浦和レッズ)の背番号9として大会に臨み、ゴールだけでなくチャンスメイクを演出した。

元々高卒でプロ入りした永井は当初からドリブルのキレが持ち味だった。
大会直前に監督が変わったことでチームは戦い方を変えていたが、永井はドリブラーというよりは中央で戦うスタイルが定着。それでも随所で相手を翻弄する動きを見せ、チームの攻撃を牽引した。

決勝戦の2ndレグでは1得点目を永井が奪い、浦和レッズの猛攻をリード。そのまま2-0で試合を制した。

2015年からはザスパクサツ群馬でプレー。今も存在感は抜群だ。

2008年MVP!日本勢に2得点2アシストの大活躍、遠藤保仁

2008年のAFCチャンピオンズリーグで大活躍した遠藤保仁選手(以下、敬称略)。彼を名選手としてあげないわけにはいかないだろう。

大会前にはウイルス性の感染症により、1ヶ月の長期離脱を経験。さらにはオーバーエイジ枠で参加が期待されていた北京五輪へのメンバーから落選。リーグでも調子を上げることができず、コンディションは絶不調にあったといってもよい状況にあった。だが、AFCチャンピオンズリーグは違った。

準決勝では前年の王者だった浦和レッドダイヤモンズ(以下、浦和レッズ)と対戦。この試合で遠藤は2得点2アシストを記録。2試合合計4-2のスコアのうち、ガンバ大阪の全4得点に絡んだことになる。そのままガンバ大阪は決勝戦を制し、大会を優勝。日本勢の2連覇達成を成し遂げた。

ガンバ大阪だけでなく、日本のレジェンドでもある遠藤。彼の活躍がこれからも続くことを願いたい。

2010年MVP!サーシャ・オグネノヴスキは外国人キャプテン

サーシャ・オグネノヴスキ選手(以下、敬称略)は、2010年のAFCチャンピオンズリーグにてMVPとなった。生年月日は1979年4月3日。

サーシャはマケドニア系のオーストラリア人で、国内のクラブを転々とするも、FWとしてはいまひとつ芽が出なかった。もっとも195cmという大柄な肉体は、ゴールだけでなくポストプレーで機能していたのだから、あまり責めることはできないだろう。

2009年には城南へと加入し、韓国リーグ史上初の外国人キャプテンとしてチームを牽引するようになる。 2010年のAFCチャンピオンズリーグでは得点こそ少なかったものの、キャプテンとしてチームをまとめ上げ、決勝戦ではチームの1得点を記録。ゴール後もポストプレーや前線からの守備で貢献し、替えの利かない選手として評価された。

同年にはマケドニアから代表招集を受けるも、国籍の問題でこれを受け入れることができなかった。それでも2010年には城南での活躍が認められ、見事代表入りを果たす。
サーシャは異国の地で自らのキャリアを切り開いた男なのだ。

2015年MVP&得点王!リカルド・グラールは中国のスター選手へ

リカルド・グラール選手(以下、敬称略)はブラジル生まれのFW。生年月日は1991年6月5日。

彼は母国ブラジルで技術を磨き、2014年にはリーグで26試合で15得点を記録。ブラジルの年間最優秀選手に送られる、プレミオ・クラッキ・ド・ブラジレイロン、ボーラ・ジ・オーロの2つを獲得。一躍「時の人」となった。
そのまま欧州に挑戦するかにも思えたが、結局選んだのは中国の広州恒大淘宝足球倶楽部(以下、広州恒大)だった。移籍金約は21億円は、当時の中国サッカー史上で最も高額な移籍となる。
彼のこの移籍前後には、中国にはどんどんと有名な外国人選手、および母国では活躍しきれていない選手もわたるようになった。

広州恒大に移ってからも得点を量産し続け、2015年のAFCチャンピオンズリーグウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCとの試合でハットトリックを記録。攻撃面でも相手を恐怖させるような鋭いプレーを連発し、最終的には8得点を挙げ、大会のMVPと得点王の両方を獲得した。

リカルドは中国ではスーパースターだ。同年には広州恒大はリーグを5連覇しており、自身は中国のリーグにおけるベストイレブンにも選出されている。中国で多くの外国人選手が苦労するなか、最も順風満帆な日々を送っている選手といえよう。