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【ドイツの至宝】マリオ・ゲッツェが過ごす栄光と挫折の狭間

2017 11/10 12:24dai06
マリオ・ゲッツェ
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ドルトムントの顔でありドイツの顔!マリオ・ゲッツェ

マリオ・ゲッツェ選手(以下、敬称略)は、1992年6月3日生まれ。BVボルシア09e.V.ドルトムント(以下、ドルトムント)のユースに所属。8歳の時から黄色のユニフォームに袖を通し、2009-10シーズンに遂にトップチームに合流した。

小さな頃から才能の片鱗を覗かせていたゲッツェだったが、トップチーム入りを果たしてからはさらにその成長が加速した。
2010-11シーズンには、日本の香川真司選手(以下、敬称略)の穴を埋める形で、コンスタントな出場機会に恵まれドルトムントのトップ下および右サイドでスタメンに定着した。なお、このシーズンには6ゴール15アシストを記録。クラブはリーグを制した。

この時のゲッツェはまだ18歳。ドルトムントの顔から、一躍ドイツの顔として注目される素晴らしい選手になった。

マドリードは黄色のクラブが苦手

ドルトムントの黄金時代は前述の2010-13シーズンの3シーズンだったように思う。

2010-12シーズンは、ライバルであるFCバイエルン・ミュンヘン(以下、バイエルン)を抑えてリーグを2連覇。当時のバイエルンは決して弱いわけではなかったのだが、ドルトムントの好調を止めることはできなかった。

2012-13シーズンは、リーグ制覇を逃しこそはしたものの、CLでは大躍進を果たす。レアル・マドリードCF(以下、マドリード)やマンチェスター・シティFCといった強豪居並ぶグループを1位で通過し、決勝トーナメントで再びマドリードと対峙するが、これも撃破する。決勝でバイエルンに敗れて優勝を逃すも、サポーターはこの出来に大興奮した。
そして、このマドリードの敗北は、あるジンクスを生むきっかけとなる。

時を経て、2016-17シーズンの序盤。マドリードはリーグを16連勝していたが、この記録はビジャレアルCF戦での引き分けでストップした。その直後のUDラス・パルマス戦でも引き分けとなってしまい、散々な結果となった。
どちらのクラブもクラブカラーは黄色。ドルトムントと同じだ。
このことを受け、ドルトムントの公式SNSは、CLでのマドリードとの再びの対戦に際してこうつぶやいた。 「最近は黄色のチームに苦戦しているみたいだね?」と。これでマドリードと黄色のクラブとのジンクス完成した。

CL躍進の裏側での悲劇!バイエルンからの引き抜き

ドルトムントがリーグ、CLと躍進する裏側では、ライバルのバイエルンが状況を芳しく思っていなかった。

当然のことである。ドルトムントと古くからしのぎを削り、ドルトムントよりも多額の投資を行い、タイトル獲得の実績もあるバイエルン。みすみすドルトムントの背中を追い続けるわけにはいかない。
そこで思い付いたのがドルトムントからの引き抜きだった。

2012-13シーズン、ドルトムントがCLを躍進する裏側では、バイエルンがゲッツェに迫っていた。しかも、翌シーズンからの加入にも関わらず、加入するという事実そのものはCLの決勝トーナメント真っただ中のタイミングで発表されてしまう。
タイミングがタイミングだけに、サポーターは大いに激怒した。幸いなことにCLの決勝戦、バイエルンとの試合では負傷を理由に欠場し、未来のチームメイトとの対戦は免れたのだが。

しかし、バイエルンの引き抜きはこれで終わりではなかった。
2014-15シーズンには前年のゲッツェ獲得に続き、ロベルト・レヴァンドフスキ選手(以下、敬称略)をドルトムントから引き抜いた。
さらに、2016-17シーズンにはマッツ・フンメルス選手までも引き抜いてみせたのだ。ドルトムントは度重なる主力の流出により、陣容が様変わりし、黄金時代を築いたユルゲン・クロップ監督は解任に追い込まれる。

かつては、ゲッツェ、レヴァンドフスキ、マルコ・ロイス選手(以下、敬称略)という素晴らしいトリオを形成していたが、その姿ももう見られない。彼らを親友だと思っていたロイスだけが、寂しくドルトムントに残った。

ワールドカップでの奇跡!「自分はメッシより上だと証明してこい」

2014年のブラジルワールドカップ。ゲッツェの姿はドイツ代表にあった。

圧巻の強さを誇るドイツ代表は、開催国であり優勝候補とも目されたブラジル代表を7-1で撃破。決勝戦へと駒を進めた。

決勝戦ではリオネル・メッシ選手(以下、敬称略)擁するアルゼンチン代表と対戦する。
ゲームをコントロールしていたのは終始ドイツ代表の方だったが、アルゼンチン代表の堅い守りを崩すことができないでいた。後半になると、メッシを中心としたアルゼンチン代表の攻撃陣に勢いが増してくるも、今度はドイツ代表がゴールを許さなかった。
試合はそのままスコアレスで延長戦に突入。試合は、2010年のワールドカップ決勝戦と同様の様相を呈してきた。

だが、延長戦に入ってからもお互い譲ることはなく、膠着状態が続いた。
そんななか、試合が動いたのは延長後半8分。途中出場のアンドレ・シュールレ選手(以下、敬称略)とゲッツェによる一撃だった。
シュールレは持ち前のスピードを活かして、左サイドを突破。そのままゴールライン近くまで持ち込むと、DFのプレスをかいくぐるようなクロスをあげる。これにゴール前のゲッツェが反応。胸でトラップした後、無理矢理押し込むようなボレーシュートを決めた。

試合はこのまま終わり、ドイツ代表が優勝した。

この勝利の裏で、ドイツ代表のヨアヒム・レーヴ監督は、ゲッツェをピッチに送り出す際にある言葉を添えていた。
「自分がメッシよりも上だと証明してこい」と。発破をかけられたゲッツェは、見事ゴールを奪いヒーローとなった。

まさかのドルトムント復帰と病気との闘い

2016-17シーズン、バイエルンで思うような日々を過ごせなかったゲッツェは、ドルトムントに復帰することになった。かつては裏切り者のレッテルを貼られたゲッツェだったが、歓迎するサポーターも多かった。 バイエルン移籍後に、同じくバイエルンにやってくるよう諭していたとされるロイスとも、再びチームメイトとなることができた。

しかし、シーズンオフの間に増えた体重や度重なる故障により、復帰後も本来のポテンシャルを発揮することができていない。さらには2017年の2月に代謝異常を起こしていることが判明した。クラブ側は、ゲッツェのプライバシーを尊重するため言及を避けたが、「ミオパチー」という筋肉が萎縮してしまう病気にかかってしまったようだ。
v なんとか、7月の浦和レッドダイヤモンズ戦で167日振りの実践復帰を果たしたが、コンディションも実力もまだ本来の状態には戻っていない。

ドイツの至宝と呼ばれたマリオ・ゲッツェ。彼がもう一度輝く瞬間を待ちたい。