アグエロの誕生とメッシとの比較
セルヒオ・アグエロ選手(以下、敬称略)は、1988年6月2日にアルゼンチンのキルメスで生まれた。
愛称は「クン」。由来はアグエロが見ていた日本のアニメ、『わんぱく大昔クムクム』の主人公クムクムにある。幼かった頃のアグエロは、この主人公を「クン」や「クー」と呼んでおり、それがそのまま今の愛称になったそうだ。
キルメスは首都であるブエノスアイレスから程近いところにあり、人口は20万人。特産品はアルゼンチンの国内市場の7割を占めるビールだ。
アグエロは1997年にCAインデペンディエンテ(以下、インデペンディエンテ)の下部組織に入団し、トップチームまで駆け上がる。2003年には15歳と35日でアルゼンチンのリーグであるプリメーラ・ディビシオンに出場。同胞のレジェンドである、ディエゴ・マラドーナがもっていた最年少出場記録を更新する。
まだ若く出場機会は限られたアグエロだったが、2005ー06シーズンにはスタメンに定着し始める。そのシーズンは18試合で9得点を記録。これからの成長が期待される存在となっていった。
同時期にはリオネル・メッシ選手(以下、敬称略)が、FCバルセロナ(以下、バルセロナ)でブレイク。同年代かつ同胞の選手ということもあり、度々比較されるようになる。
どちらもドリブルスキルに長け、シュートセンスもあるが、プレースタイルは全く違うのだが、アグエロには「NEWメッシ」というレッテルが貼られるようになる。
アトレティコ・マドリードでのブレイクとプレースタイル
2006-07シーズンからは、アトレティコ・マドリード(以下、アトレティコ)でプレーを始めた。
インデペンディエンテでの活躍は広く知れ渡っており、アトレティコへの入団は大きな注目を集めた。誰もが、アグエロの活躍を間違いないものと思っていた。
アグエロはその期待を裏切ることなく、きっちりと結果を積み上げていった。
アトレティコの生え抜きであるフェルナンド・トーレス選手とタッグを組み、抜群のコンビネーションを披露した。アグエロが左右に開いて相手DFを引き付け、トーレスがゴールにボールを沈める、あるいはその逆もしかり。2人が連動的にピッチを駆ける動きは圧巻だった。
アグエロ自身はドリブルスキルに長ける。柔らかいタッチを駆使しつつも、爆発力のある突破で相手選手を置き去りにすることが可能だ。ボールを受けた後に、身体を反転させての突破も得意であるため、中央の高い位置でもプレーすることができる。この時に、前述のトーレスにパスを供給することでも、連携を成り立たせていたのだ。
このようなプレースタイルは、攻撃陣の豊富なアルゼンチン代表においても遺憾なく発揮されている。
2007-08シーズンは、相棒のトーレスがいなくなったものの、新戦力であるディエゴ・フォルラン選手(以下、敬称略)と強固なタッグを組んだ。このシーズンにリーグで記録したゴールは20で、FIFA際有望選手賞を獲得した。
2008-09シーズンにはフォルランの攻撃をアシストすることに徹底したものの、リーグで17得点を記録。フォルランの方はリーグ最多となる32得点を記録している。
アグエロはアトレティコで完璧にブレイクした。自身で点を取ることも、味方を活かすこともできる万能型のFWとしてのプレースタイルを確立させたのだ。メッシとは全く違う存在だ。
流出のアトレティコとシティへの移籍
アトレティコは、数々のストライカーを世界レベルに押し上げてきた。トーレス、アグエロ、フォルラン、そしてその後にはジエゴ・コスタ選手やアントワーヌ・グリーズマン選手らがブレイクしている。
ブレイク一歩手前の選手、あるいは燻っている選手を獲得することに関して、アトレティコは世界で最も優れているクラブといっても良いだろう。そして彼らを磨き上げる手腕も評価すべきだ。
しかし、アトレティコは優秀なストライカーを誕生させる度に、その流出が危惧されるクラブでもある。ブレイクした選手はいずれも、他国のリーグで1、2を争うようなクラブに獲得されてしまうのだ。リーガ・エスパニョーラでリーグ制覇を狙うには、バルセロナとレアル・マドリードCFの壁が高過ぎる。アグエロやフォルランが素晴らしい働きをしていても、彼らはその上をいく――。
結果的にアグエロはさらなる高みを求め、2011-12シーズンにプレミアリーグのマンチェスター・シティFC(以下、シティ)に移籍することになる。移籍金は約65億円だ。
当時のシティはクラブ改革の真っただ中にあり、アグエロの獲得はシティの本気度の表れでもあった。アグエロはこのハングリーなシティともに、新たなキャリアを歩み始める。
伝説的な瞬間!シティのエースになったアグエロ
アグエロは途中出場したデビュー戦で2得点1アシストを記録し、鮮烈なデビューを飾った。アトレティコで見せていた通りのキレキレのドリブルと、美しく正確なシュートで味方との連携を披露し、シティを優勝候補へと導いた。
しかし、シーズンのゆくえは最終節までもつれた。
最終節、シティの対戦相手は格下であるクイーンズ・パーク・レンジャーズFC(以下、QPR)。
ライバルであるマンチェスター・ユナイテッドFC(以下、ユナイテッド)は、先に最終節を終えており、シティの最終節の結果次第で優勝が決まる状況にあった。シティが優勝するには、このQPRになんとしても勝利しなくてはならなかった。
だがシティは、QPRに苦戦。試合は1人少ないにもかかわらずQPRペースで進み、1-2のまま試合終了に近づいた。観客の顔からは次第に血の気が引き、「あぁ、やはりだめなのか」そんな意思さえ見え隠れした。
しかし後半ロスタイム、ここから伝説は始まる。
まず92分に味方からのコーナーキックを、エディン・ジェコ選手がヘディングで合わせて同点に。反撃の狼煙を上げ、シティのサポーターも一斉に立ち上がった。
そして94分、ペナルティエリア前にいたマリオ・バロテッリ選手(以下、敬称略)に、アグエロからのパスが渡る。アグエロはパスを出した直後にゴール前へ疾走。バロテッリは相手選手に囲まれていたが、倒れながらも抜け出たアグエロにパスを送る。アグエロは相手選手のプレスをかわし、ボールをコントロール。そのまま相手ゴールに突き刺した。
この瞬間サポーターは狂喜乱舞し、スタジアムは大きく揺れた。ロスタイムのほんの数分で歴史は作られた。
鳴り響く試合終了のホイッスル。選手やスタッフは抱き合い、観客席からはサポーターが一斉にピッチになだれ込んだ。
溢れる喜びの感情をコントロールできず、ただただピッチを走る者。選手の下に駆け寄り、選手達に声を駆ける者。あまりの驚きの展開に呆然としている者。シティは優勝できる強いクラブであることを証明した。
グアルディオラ体制下でのアグエロとライバルの登場
アグエロはシティで背番号10を着用し、エースとしての地位を確立させた。前述の逆転劇により、シティサポーターはアグエロをクラブの象徴として担ぎ上げている。
ただ、2016-17シーズンから就任したジョゼップ・グアルディオラ監督(以下、敬称略)の下では、アグエロは絶対的な存在ではない。新しく獲得したブラジルの新星、ガブリエル・ジェズス選手はアグエロをベンチに追いやる活躍を見せ、グアルディオラの信頼を得ている。
また、ポゼッションサッカーを志向するグアルディオラは、選手間の連携やプレースタイルを研究し続けており、調子の悪い選手を無理に起用することはなく、常に様々な組み合わせを試している。自身が求めるサッカーを作り上げるために、選手をコンバートさせることもあった。
さらに資金力の豊富なシティはグアルディオラ指示の下、新戦力を次々と獲得しているため、アグエロのライバルはこれからも現れ続けると思われる。
しかし、アグエロは常に前を向いて走り、ゴールを奪う背中はとても頼もしく、今後もプレーレベルが落ちることはないだろう。