アンドレス・イニエスタとバルセロナの出会い
アンドレス・イニエスタ選手(以下、敬称略)は、1984年5月11日にスペインのフエンテアルビージャという小さな町に生まれた。フエンテアルビージャは塩の生産が有名で大きな塩田がいくつもある。2010年以降の人口は約2000人あたりを推移している。
イニエスタは8歳の頃に、地元クラブのアルバセテ・バロンビエのカンテラ(下部組織)に入団した。このクラブは、2017-18シーズンはスペインの2部に相当するリーグでプレーしている。
ここで腕を磨いたイニエスタは、12歳で出場した全国大会で一気に注目を集める。多くのクラブが彼の獲得を狙うなか、FCバルセロナ(以下、バルセロナ)のライバルであるレアル・マドリードCF(以下、マドリード)も彼の獲得に動いた。
結局イニエスタの両親がマドリード入りを受け入れず、見学の際に印象の良かったバルセロナのカンテラに入団することになる。バルセロナはラ・マシアと呼ばれる下部組織の寮があるのだが、おとなしい性格のイニエスタは度々ホームシックにかかり、苦労しながら生活したようだ。
シャビとグアルディオラとの出会い
U15のチームでキャプテンを務めるようになると、1999年にナイキ・プレミア・カップに出場。この大会は、世界各地のクラブから若手ばかりが集まる。イニエスタは決勝戦でロスタイムにゴールを挙げ、チームを優勝に導いた。
この活躍が認められたイニエスタは、同大会の最優秀選手となる。彼にはバルセロナのトップチームでプレーしていた、後のジョゼップ・グアルディオラ監督(以下、敬称略)からトロフィーが送られた。
この時グアルディオラは、同じくバルセロナでプレーするシャビ・エルナンデス選手(以下、敬称略)に対し、「きっと君(シャビ)は俺を引退に追い込むのだろうが、あの子ども(イニエスタ)は俺達2人ともを引退に追い込むかもしれないな」と語ったという。グアルディオラはシャビとイニエスタ、カンテラが生んだ2人の才能を見抜いていたのだ。
イニエスタとシャビとグアルディオラ。やがてこの3人は、後のバルセロナを黄金時代に導く立役者となる。
2006年から切り開いたWGとしてのプレースタイル
イニエスタはドリブル技術の高さもさることながら、ピッチの状況を判断することに長ける選手だ。
相手選手と味方選手の位置取り、間合い、進もうとしているポジションを俯瞰しているかのように見極めることができる。
2006-07シーズンにはWGとしてのプレーを経験するようになり、サイドの高い位置から相手陣営に鮮やかに切り込んでいった。イニエスタの広い視野は相手DFのプレスを容易にいなし、ゴールとチャンスメイクを量産していく。
当時のバルセロナにはロナウジーニョ選手という稀代のドリブラーがいた。正直に言うと、イニエスタには彼ほどのドリブルスピードや超絶技巧もない。しかし、イニエスタは前述の通り視野がとても広い、広過ぎるのだ。
速くなくとも、超絶技巧でなくとも、イニエスタは僅かなスペースを見逃さない。相手選手の綻びを瞬時に見つけ、わずかなタッチだけで相手を抜き去ることができる。非常にエコな選手いっても良いかもしれない。
スペイン代表とバルセロナ、黄金時代の到来
イニエスタはスペイン代表としても定位置を獲得し、黄金時代を形成した。
EURO2008、ワールドカップ2010年大会、EURO2012など大きな国際大会で頂点に立った。
特に2010年のワールドカップでは、オランダ代表から決勝点を挙げスタジアムを沸かせた。この時、イニエスタは「ダニ・ハルケはいつも僕らとともにある」といった手書きのメッセージ入りアンダーシャツを披露。2009年に心臓発作で急死した親友を偲ぶとともに、スペイン代表の強さを疑いのないものにした。
時を同じくして、監督となったグアルディオラはバルセロナを率いていた。指揮を執った2008-2012シーズンの間に、バルセロナでポゼッションサッカーを確立させ、多くのタイトルを獲得した。
バルセロナはイニエスタやシャビをはじめ、選手全体が流動的に動きつつも、常にトライアングル状の位置取りを意識。平均ポゼッション率70%を誇るパス回しは、対戦相手を押しつぶすかの如く圧倒していった。
ボールを奪うことはおろか、バルセロナと対戦する選手は90分間走らされ続け、疲弊し敗れていくしかなかった。試合は常にバルセロナペースで進むからだ。
スペイン代表とバルセロナの黄金時代は、イニエスタとシャビのプレーで形作られていた。そしてその2人を指導した、グアルディオラによる功績も大きいだろう。
黒子としてのイニエスタ、MSNとの共存
時は流れ、2015-16シーズンからはシャビのキャプテンマークを引き継ぐことになった。チームメイトの顔は徐々に移り変わり、カンテラ上がり以外の選手も増えてきた。
リオネル・メッシ選手、ルイス・スアレス選手、ネイマール選手(いずれも以下、敬称略)らが、MSNという攻撃陣を形成しており、ここに他の選手が付け入る隙はない。
クラブの絶対的エースであるメッシと、スアレスにネイマールという組み合わせはフィットしないという見方もあったが、それは全くの杞憂だった。
このさなかで、アレクシス・サンチェス選手らがペドロ・ロドリゲス選手らが退団すると、イニエスタは黒子としてのプレーに徹底するようになる。得点はMSNに任せ、自身は中盤でゲームを作ることに終始した。MSNへのパス供給、MSNのために走り相手選手を引き付ける、MSNのために熱心に守備に参加する。
イニエスタはMSNの影で、誰よりも重要なタスクをこなし続けた。文句も言わず、ただただバルセロナの勝利のためにプレーするのが彼だ。
バルセロナの最後の希望
バルセロナはカンテラ育ちの選手がトップチームでプレーすることが減っている。
常に勝利が求められるバルセロナは、豊富な資金力を背景に、世界中から即戦力を集めるようになった。カンテラ出身の若手はプレーする機会に乏しく、夢見たトップチームの門扉をたたかないまま、別のクラブの手に渡っている。
この事態にはすでに退団したシャビが苦言を呈している。「バルセロナは眠っていた。船はひとりでに進むと信じていたんだろう。カンテラとプレーモデルを見直すべきだ。カンテラの監督は選手を育てるべきだ。タイトルを獲得するのも良いけど、目的は育成にこそある」と。
これに対してバルセロナの会長ジョゼップ・マリア・バルトメウ氏が反論。「メッシ、イニエスタ、シャビら、強過ぎたスタメンの選手達が若手の出場機会を阻んだ」との旨をコメントした。
こういった状況を踏まえると、カンテラ上がりで今もなお最前線でプレーする、メッシやイニエスタの存在は極めて貴重であり、バルセロナの「最後の希望」とも呼ぶべき存在だろう。バルセロナというクラブの本質はシャビの言う通り、育成にこそある。
カンテラ出身の選手の存在なくして、これまでとこれからのバルセロナの栄光はない。
2017年夏、ネイマールを失い、相次いで補強に失敗したバルセロナ。リーグを開幕してなお、イニエスタは契約の延長にサインをしていない。
カンテラの最高傑作と呼ばれる彼は、今何を考えているのだろうか。