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【白に誓った勝利】セルヒオ・ラモスの戦いはこれからも

2017 10/13 10:05dai06
セルヒオ・ラモス選手
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セルヒオ・ラモスとアントニオ・プエルタの絆

セルヒオ・ラモス選手(以下、敬称略)は、今でこそレアル・マドリードCF(以下、マドリード)の選手としてのイメージが強いが、元はセビージャFC(以下、セビージャ)の選手だ。

1986年3月30日にセビリアで生を受け、8歳の頃に地元クラブのセビージャに入団。若くして亡くなったアントニオ・プエルタ選手(以下、敬称略)、スピードのあるドリブラー、ヘスス・ナバス選手らとしのぎを削った。

プエルタはラモスと同様にセビージャの下部組織でプレーし、トップチームにデビューした選手だ。
しかし、2007‐08シーズンの開幕戦で試合中に意識を失ってピッチに倒れ込んだ。その時は懸命な処置により意識を取り戻し、自らの足でピッチを後にしたが、ロッカールームに向かう際に再び意識を失った。多くのチームメイトやサポーターが懸命に回復を祈るも、3日後には息を引き取った。22歳だった。死因は心筋症の一種であり、プエルタは以前から心臓に不調を抱えていたという。

ラモスは彼の親友でプレーするポジションも近かったこともあり、大いに悲しんだ。
スペイン代表として臨んだEURO2008では彼が使用していた背番号15を着用し、優勝を経験。プエルタの写真と、「いつも共にいる」というメッセージ入りTシャツで祝った。

その後も、コンフェデレーションズカップ2009、EURO2012などでもプエルタを偲んだ。ラモスが勝利を重ねる原動力には、プエルタという親友の存在がいつもあるのだ。

白い巨人!マドリードに移ったラモス

セビージャで着々と成長を遂げたラモスは、2005年に19歳という若さでマドリードに移籍する。その時に発生した移籍金は約32億円であり、10代の選手としては異例の価格だった。

マドリードに移籍してからは背番号4を着用し、徐々に出場機会を得るようになる。
マドリードは豊富な資金力を背景に、ファビオ・カンナバーロ氏やクリストフ・メッツェルダー氏、ペペ選手などDFの実力者を相次いで獲得した。
しかしラモスは、彼らの存在に追い出されることなく、ポジションを変えつつ存在感を発揮し続けた。時にはCBとして時にはSBとして、またある時は中盤の底でもプレーした。

どこでプレーしても遜色なく力を発揮するラモスは、重宝された。サッカー選手のユーティリティー性が求められる時代において、ラモスはその求めに間違いなく応えられる選手だ。

本当にCB?超攻撃的なラモスのプレースタイル

ラモスはCBとして定着しているが、前述の通り幾度となくポジションを変えてプレーしてきた。

SBとしてプレーしていた頃には素晴らしい走力を見せ、相手選手に激しいマークを行った。決して当たり負けすることなく、激しいプレスをかけボールを奪う。そしてまた前線に走り、味方選手へのパス交換に臨んだ。
CBとしてプレーするようになってからは、持ち前の走力はそのままに空中戦での勝負強さを得た。相手選手よりも高く跳躍し、正確なヘディングでボールを跳ね返しゴールを守る、あるいは相手のゴールへと叩き込んだ。

マドリードは彼のヘディングシュートによって、いくつもの勝利を手繰り寄せてきた。特に印象深いのは、2013-14シーズンのCL準決勝アトレティコ・マドリード戦だ。後半終了直前に味方のクロスに合わせたラモスのヘディングシュートにより、マドリードは決勝戦へと進出。「ラ・デシマ(10回目のCL制覇)」の立役者となった。

2015-16シーズンからはマドリードのキャプテンとなり、チームをまとめる存在になった。試合中に相手選手やレフェリーとの間でいざこざが生じれば、真っ先にラモスが飛んでくる。そして必死の形相で状況を説明し場を収める。彼には素晴らしいキャプテンシーが備わっている。

ライバルであるピケとの衝突は?

マドリードのキャプテンであるラモスは、常にマドリードの勝利のために必死だ。そのなかで目の上のたんこぶなのが、FCバルセロナ(以下、バルセロナ)であり、ジェラール・ピケ選手(以下、敬称略)の存在だ。

ラモスがマドリードを愛しマドリードのために戦うように、ピケはバルセロナを愛しバルセロナのために戦っている。バルセロナとマドリードの間にはカタルーニャの歴史を背景に、非常に複雑なライバル意識が存在している。
さらにピケとラモスは同じスペイン代表であり、CBとしてプレーする選手だ。お互いを意識しないわけがない。

彼らはメディアやSNSを通して、お互いをけん制し合っている。
マドリードが2015-16シーズンの国王杯を失格になってしまった時には、ピケは泣き笑いしているような絵文字をSNSで並べた。
2017年4月のクラシコでは、ラモスが判定に不服だったというピケに対し、「彼らはいつも審判の話をしているね。フットボールに対する解釈が違うのかもしれない。マドリードはそんなことはしないんだがね」とピシャリ。

スペイン代表ではいつも横に並んでプレーする両者なのだが、その関係はかなり冷えている。
スペイン代表はEURO2012以来、タイトルに恵まれていないのだが、もしかするとこの両者の関係が影響を与えているのかもしれない。
攻撃に事欠かないスペイン代表なのだから、守りさえ徹底すればもっと勝てるようになるだろう。そのためにはラモスとピケが連携し、後ろから攻撃を支えなくてはならないはずだ。

ラモスはマドリードとキャリアを終えるのか?

おそらくラモスはマドリードでキャリアを終える可能性が高い。
タレント集団のマドリードにおいて、彼らを束ねられるほどの存在はラモスをおいて他にはいない。ラモスを放出すれば、チームは形を失う危険性がある。クラブ側はこれを何としても避けなくてはならないだろう。

しかし、これまでにラモスがマドリードを退団する可能性がゼロだったわけではない。
マドリードは、マンチェスター・ユナイテッドFCのGKであるダビド・デ・ヘア選手を狙っていた。彼はスペイン代表ということもあり、マドリードが長年動向を見守ってきた。そんな彼の獲得にラモスをオプションで付けるという算段もあったのだ。

ラモスはマドリードと給与の面で折り合いがつかなかったこともあったが、結果的に2015年に2020までの契約延長にサインをした。
その際には「このクラブの一員であることは、これからも継続していきたい夢なんだ。世界で一番大きなクラブでのプレーとキャプテンマークを巻くことは名誉であり特権なんだ」と語っている。

彼のマドリードでの日々はまだまだ続く。常に勝利が求められるクラブで、勝利のために常に熱い姿勢を見せるラモス。クラブもチームメイトもサポーターも、常に彼のことを信じている。