ベルギーからロンドンへ!いきなりレンタルでのスタート
ケヴィン・デ・ブライネ選手(以下、敬称略)は、1991年にベルギーのヘントで生まれた。やがて彼はこのヘントの地元クラブであるKAAヘントへ加入。その後2008年にKRCヘンク(以下、ヘンク)のトップチームへ昇格し、2009年にデビューを果たした。
ヘントは多くの逸材が集まるクラブとして有名だが、デ・ブライネもそうだった。ベルギー生まれのこの逸材は2012年の1月にチェルシーFC(以下、チェルシー)入りが決まり、2012-13シーズンの開幕を機に正式にチェルシーの選手となった。チェルシーの本拠地であるロンドンは、母親の生まれ故郷であり、デ・ブライネにとっても親しみやすい街…になるかと思われた。
2012-13シーズンはチェルシーではなく、ヴェルダ・ブレーメンへいきなりレンタルに出された。ロンドンで始まるかに思えた新生活はお預け。ひとまずは武者修行というわけだ。結果的にこのシーズンはリーグで10得点9アシストを挙げ、満足のいく結果を得る。
デ・ブライネとモウリーニョ、噛み合わなかった歯車
2013-14シーズンはチェルシーへ復帰。昨シーズンの活躍もあったことから、大きな期待を寄せられるも出場機会を得ることができなかった。当時の監督であったモウリーニョ監督(以下、敬称略)が彼を使おうとしなかったのだ。
モウリーニョはどの選手にも徹底した守備への貢献を求める。走るのを辞める選手を見かければ、ピッチ際から怒鳴りつけることもあるほどだ。デ・ブライネもこのモウリーニョの求めにそぐわなかったのだとされている。
しかし、理由はそれだけではないようだ。
後にマンチェスター・シティFC(以下、シティ)に移籍したデ・ブライネによると「僕は十分な説明を受けていない。モウリーニョとは2回しか話していないんだ。彼は僕にチャンスを与えると言ったよ。それから僕は一生懸命トレーニングを積んだけど、出場機会を与えられることはなかった。だから僕は移籍したいと伝えたんだ」とのこと。モウリーニョとの関係の構築に苦慮したデ・ブライネは、ロンドンで満足のいくスタートを切ることができなかった。
再び放出!ドイツで掴んだ手応えとシティへの移籍
またもやチェルシーで出場機会を得られなかったデ・ブライネは、2014年の1月にVfLヴォルフスブルク(以下、ヴォルフスブルク)に移籍。
ドイツで再スタートを切ることになった2014-15シーズンは、リーグ戦全34試合に出場。リーグで10得点20アシストという素晴らしい成績を残した。彼の活躍は、上位争いに食らいつけないでいたヴォルフスブルクを、2位にまで押し上げた。国内カップ戦も制したヴォルフスブルクは、2008-09シーズン以来の最高のシーズンを送った。
当然、デ・ブライネの活躍は世界中のクラブを注目させることになり、2015-16シーズンの夏の市場でシティが彼の獲得に成功。移籍金の額は約100億円とされている。
彼の市場価値はこの2年で大きく動いた。ヴォルフスブルクはCLも戦わなければならなくなったため、彼の慰留に必死になっていたが、シティからこれだけの金額を積まれれば断るわけにはいかない。
結果的には、チェルシーから獲得した際の約35億円から差し引いても、デ・ブライネの売却によって大きな利益を得ることに成功した。だが、デ・ブライネの抜けた穴は大きく、後の2015-16シーズンはリーグ8位、CLはベスト8で終わっている。
かくしてデ・ブライネは一層の手応えを携え、2015-16シーズンから再度のプレミアリーグ挑戦が決定した。
チェルシーのレンタル作戦の如何を問う
デ・ブライネのように、チェルシーからレンタルでの放出が相次ぐ選手は少なくない。
チェルシーは欧州でも屈指のレンタル放出常連クラブで、毎年のように多くの若手をレンタルに出し出場機会を与えさせている。
2016-17シーズンは実に38人ともされる選手を別のクラブに武者修行に出している。その選手のなかにはデ・ブライネと同様に、チェルシーに復帰できても出場機会を与えられず、最終的に別のクラブへ移籍してしまう選手も大勢いる。
そしてチェルシーは彼らを獲得した時よりも、高額の移籍金で売却して利益を得る。この一連の市場での動きは「ショーウィンドウ」と揶揄されている。
だがチェルシーほどの大きなクラブともなると、常に欲しいのは確実に結果を出してくれるであろう実力者だ。いくら期待を寄せられる若手でも、他の選手に比べれば実績も成長も足りない。となれば、「別のクラブに貸し出してどうなるか試してみよう」と考えるわけだ。
これにより若手選手はチェルシーに在籍するよりも確かな出場記録を得ることになり、さらなるステップアップへのチャンスを掴む。もちろん、その最終地点がチェルシーであるに越したことはないのだが、これも現代サッカー界の一場面で仕方ない部分がある。
デ・ブライネの場合はごく短期間でのステップアップとなったので、彼としてもチェルシーとしても大成功と言えるのかもしれない。
シティで掴んだ定位置!疑いようのない実力
シティに移籍してからのデ・ブライネには、念願だったプレミアリーグでの定位置が与えられた。
海外から大勢の有望株を集めたシティは、選手層が非常に厚いがデ・ブライネの存在だけは特別だった。
2015-16シーズンはリーグ25試合に出場し、7得点9アシストを挙げた。CLやカップ戦まで含めれば41試合で16得点14アシスト。彼の獲得には多くの移籍金を要したが、その金額に見合うだけの活躍をしてサポーターからも信頼を寄せられるようになった。
彼のプレースタイルを一言で表現するならば「トップ下をさせたら万能」ということに尽きる。長短どのパスを蹴らせても正確で、味方の走り出すタイミングを見計らうのも上手い。彼のアシスト数が伸びているのも、この類稀なパスセンスがあるからだ。
さらに走力も十分でピッチの中央で走り続けられる彼は、味方から味方へのパスの受け渡し役となる。地味な仕事も率先して行い、機を見れば自分でも得点を狙いにいく。両足のどちらからでも強烈なミドルシュートを放つことができ、相手選手にとっては脅威となる。
2016-17シーズンからはグアルディオラ監督(以下、敬称略)の下でのプレーとなるが、元来ポゼッションサッカーを志向する彼からも絶大な信頼を寄せられている。グアルディオラのシティは順位の上では満足いく結果を残せなかったが、クラブのビジョンは見えてきている。そのビジョンにはデ・ブライネの存在も欠かせない。
あちこちのクラブを放浪したデ・ブライネであったが、ここにきて確かな居場所と勝利への道を手にしている。シティほどのクオリティがあれば、これからより多くのタイトルを狙えるだろう。