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【放浪のプレミア戦士!】ケヴィン・デ・ブライネのキャリアに迫る

2017 8/3 12:07dada
ケヴィン・デ・ブライネ
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ベルギーからロンドンへ!いきなりレンタルでのスタート

ケヴィン・デ・ブライネ選手(以下、敬称略)は、1991年にベルギーのヘントで生まれた。やがて彼はこのヘントの地元クラブであるKAAヘントへ加入。その後2008年にKRCヘンク(以下、ヘンク)のトップチームへ昇格し、2009年にデビューを果たした。
ヘントは多くの逸材が集まるクラブとして有名だが、デ・ブライネもそうだった。ベルギー生まれのこの逸材は2012年の1月にチェルシーFC(以下、チェルシー)入りが決まり、2012-13シーズンの開幕を機に正式にチェルシーの選手となった。チェルシーの本拠地であるロンドンは、母親の生まれ故郷であり、デ・ブライネにとっても親しみやすい街…になるかと思われた。
2012-13シーズンはチェルシーではなく、ヴェルダ・ブレーメンへいきなりレンタルに出された。ロンドンで始まるかに思えた新生活はお預け。ひとまずは武者修行というわけだ。結果的にこのシーズンはリーグで10得点9アシストを挙げ、満足のいく結果を得る。

デ・ブライネとモウリーニョ、噛み合わなかった歯車

2013-14シーズンはチェルシーへ復帰。昨シーズンの活躍もあったことから、大きな期待を寄せられるも出場機会を得ることができなかった。当時の監督であったモウリーニョ監督(以下、敬称略)が彼を使おうとしなかったのだ。
モウリーニョはどの選手にも徹底した守備への貢献を求める。走るのを辞める選手を見かければ、ピッチ際から怒鳴りつけることもあるほどだ。デ・ブライネもこのモウリーニョの求めにそぐわなかったのだとされている。 しかし、理由はそれだけではないようだ。
後にマンチェスター・シティFC(以下、シティ)に移籍したデ・ブライネによると「僕は十分な説明を受けていない。モウリーニョとは2回しか話していないんだ。彼は僕にチャンスを与えると言ったよ。それから僕は一生懸命トレーニングを積んだけど、出場機会を与えられることはなかった。だから僕は移籍したいと伝えたんだ」とのこと。モウリーニョとの関係の構築に苦慮したデ・ブライネは、ロンドンで満足のいくスタートを切ることができなかった。

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