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全てを掴み取ったサッカー少年、ルイス・スアレス

2017 6/30 12:56dada
ルイス・スアレス
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やんちゃなのは昔から!ノートを持たされた少年期

FCバルセロナ(以下、バルセロナ)に所属する、ルイス・スアレス選手(以下、敬称略)は、いくつもの得点を量産する優秀なストライカーだ。
しかしその反面、ピッチ内外での問題行動も取り沙汰されることが多く、サッカー界に何人か存在する「悪童」とされる選手の一人でもある。
彼は少年の頃から、「落ち着きのない子ども」というレッテルを貼られており、学校に通う際には彼の母親がノートを持たせていたそうだ。そのノートは、スアレスが学校でどのように過ごしているかを先生に記入してもらうためのものだった。 そのノートの全貌は明らかにされてはいないが、必ずしも良い内容ではなかっただろう。
彼の家は決して裕福ではなかったようで、彼自身はよく祖父と車を磨きに出かけ小遣い稼ぎをしていたそうだ。サッカーに専念するには、まず食べること。「フットボールをするためにしなくちゃいけない行為だった。ただ、それは恥ずべきことではない」と彼は振り返る。
ウルグアイ発の素晴らしいストライカーのキャリアは、順風満帆なスタートではなかったようだ。

恋人を追いヨーロッパの地へ

スアレスには、現在の夫人であるソフィアという恋人がいた。 彼女とはスアレスが15歳、ソフィアが12歳の頃から付き合ったとのことだが、ソフィアはすぐにスペインのバルセロナに引っ越すことになる。
スアレスは大いに泣きじゃくったようで、ソフィアとの別れを悲しんだ。そしてその彼女に会うために、16歳の頃に単身スペインに渡る。彼はソフィアのことが大好きでたまらなかったようだ。
当時彼はウルグアイの名門クラブ、ナシオナル・モンテビオでプレーしていたが、2006-07シーズンにオランダのFCフローニンゲンへ、そして2007-08シーズンからはAFCアヤックス(以下、アヤックス)に籍を移している。
ウルグアイとスペインだとかなりの距離だが、オランダとスペインならかなり近くなる。スアレスはヨーロッパでのブレイクの兆しをアヤックスで見せ始めた。
2007-11シーズンの間に110もの試合に出場し、81得点を記録。在籍中には何度もハットトリックを挙げ、2009-10シーズンには4試合でハットトリックを成功させている。しかもその4試合のうち2試合での得点は4得点である。
ここぞという場面でキッチリと仕事をするスアレスは、世界から注目を集めるストライカーになっていた。

プレミアへ渡ったモンスターは次々と……

スアレスは2011-12シーズンの冬の移籍市場で、プレミアリーグのリヴァプールFC(以下、リヴァプール)に移籍する。この時アヤックスに支払われた金額は約30億円で、リヴァプールのスアレスに対する期待度の高さを窺わせる金額となった。
通常、プレミアリーグへの順応はフィジカルコンタクトの面から、合わない選手はとことん合わないとされるが、スアレスは難なく順応してみせた。加入直後から得点を量産し続けるモンスター級の働きを連発させた。特に2013-14シーズンは、リヴァプールの優勝争いを牽引し続け、リーグ31得点12アシストという素晴らしい成績を残した。
ただその一方で、他の選手への差別的発言や、世界で話題になった噛み付き問題を起こしている。特に噛み付き問題は、リヴァプール時代のみならず、アヤックス所属時、そしてバルセロナでプレーする直前の2014年W杯でも起こしている。このスアレスの噛み付きの常習犯ぶりを、『JAWS』のポスターで揶揄するような画像も世界で広く出回った。
彼はこの他にもいくつかの問題行動を起こしているが、それは彼のキャラクター性でもある。もちろん、問題行動を肯定すべきではない。だが、それを含めスアレスだ。サッカー界では彼のような強烈なインパクトを残す選手は、サポーターに愛されることも嫌われることもある。そして、結果的には人々の記憶に残る偉大な選手となるのだ。

遂にバルセロナ!結成されたMSN

スアレスは20014-15シーズンにバルセロナへ移籍。アヤックス、そしてリヴァプールでの活躍は誰もが認めるところで、実力面で彼のバルセロナ入りを疑問視する者はいなかった。ただ、クラブの生ける伝説リオネル・メッシ選手(以下、敬称略)と、1シーズン先に加入していたネイマール選手(以下、敬称略)との共存は不安視された。
MSNというトリデンテ(3人組/3トップ)は、今でこそ絶大な攻撃力を誇り素晴らしく機能している。ただ、当初は「彼らのうち誰かが独りよがりになるはずだ」、「我が強過ぎて、バルセロナの攻撃のテンポ(ティキ・タカ)が崩れる」と心配されていたのだった。
特にスアレスは問題行動を起こしていたことからも、多くのサポーターが不安に思っていたはずだ。
しかし、意外にもスアレスは独りよがりになることはなかった。常にメッシとネイマールの動きを気にして、きちんとチャンスメイクができた。
そしてMSN結成から100試合目にはメッシが出場84試合で86ゴール33アシスト、ネイマールが出場79試合で56ゴール24アシスト、スアレスが出場86試合で68ゴール39アシストという記録を打ち立てる。それぞれが互いをかばい合うだけでなく、それぞれが得点を挙げることができた。
MSNというトリデンテは、サッカー史上で最も優れた攻撃陣として歴史に刻まれるだろう。
なお、スアレスは前述のソフィア夫人との関係も良好で、自身の息子、そしてメッシらの息子は一緒にバルセロナのサッカースクールでの練習を始めたようだ。
ウルグアイが生んだストライカーは、バルセロナの地でキャリアで最も輝かしい時を過ごしている。

MSNはなぜ点を奪うことができるのか?

共存が疑問視されたMSNは、なぜこれほどまでに輝くことができているのだろうか。 その背景には、個々人のクオリティの高さがあるのは言うまでもないが、バルセロナに息づく「ティキ・タカ」の哲学が浸透しているからというのもあるだろう。
選手同士が細かなパスを積み重ね、ゴールへの道筋をいくつも作るのがティキ・タカだ。ポゼッションを意識しボールを奪われないことを至上とするが、少しずつ確実にゴールに迫っていく。決して誰か1人にボールを集約させるというわけではなく、常に複数人での連携を意識してボールを運んでいくのだ。
メッシ、スアレス、ネイマールの誰が決めても良い。それぞれがパスコースとシュートコースを保持し続けるように動くため、相手のマークにはバラつきが出る。そのバラつきを一瞬で仕留める。それが今のバルセロナのティキ・タカであり、MSNの強さだろう。
特にスアレスの場合、ダイアゴナルラン(斜めに走り込むこと)を得意とするため、エンリケ監督就任後から取り入れられた縦に速いサッカーにも、的確に対応することができる。
貪欲なスアレスは、これからも多くの得点と勝利を積み上げていくだろう。