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王者の復活!サッカーオタクがマンチェスター・ユナイテッドを徹底解説

2017 8/17 16:20dada
manchester united
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赤い悪魔、マンチェスター・ユナイテッドFC

世界で有名なサッカークラブのうちの1つに、「マンチェスター・ユナイテッドFC」がある(以下、ユナイテッド)。ユナイテッドは英国のプレミアリーグに属するクラブで、愛称を「赤い悪魔」という。クラブの創設は1878年で、マンチェスターの鉄道員が主なメンバーだった。ただ現在のクラブのエンブレムに描かれている船の絵は、マンチェスターが港を使った交易都市としても発展を遂げたことの象徴でもある。
英国で起こったインフラの拡充と産業革命が、ユナイテッドの歴史にも大きく関わっているのだ。
創設当初は資金の捻出に苦労しており、1902年には破綻も経験している。ただ、この時には別のオーナーがすぐさま介入したことにより、クラブは存続を図ることに成功した。実は現在のマンチェスター・ユナイテッドFCという正式名称もこの時に決定した。

忘れはしないミュンヘンの悲劇

2016年11月にブラジルリーグに所属するシャペコエンセのメンバーが、悲惨な航空機事故に遭った。47名もの尊い命を奪ったこの事故は、世界中の人々を悲しませた。こういった航空機事故は、ユナイテッドの歴史にもあった。それが「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれる航空機事故だ。
1958年のユナイテッドは資金難から脱出し、マット・バズビー監督率いるチームは好調を維持していた。クラブには当時革新的だったユースチームからの育成が功を奏し、多くの有力な国内選手が育っていたのだ。彼らを「バズビー・ベイブス」と呼んだ。同年2月、メンバーはCLに出場すべくチャーター機でミュンヘンに向かっていた。しかし、2度の離陸失敗を経たのち、3度目の離陸失敗で空き家に激突。44名の乗員乗客のうち、23名が死亡。そのうちユナイテッドの選手は8名が犠牲となった。
チームの柱であったダンカン・エドワーズ選手は、事故から2週間後に亡くなった。彼は英国のサッカー史における伝説として今も語り継がれている。彼は16歳でユナイテッドの門をたたいてから、サッカー選手としての充実なキャリアを送っていた。試合では強力なミドルシュートを叩き込み、ユナイテッドの窮地をいくつも救ってきた。そんな天才的なサッカー少年は21歳の若さで世を去ったのだ。チームは非常に大きな柱を失ったのだ。

真の王者となったユナイテッド、差し込んだ光は永遠に

ミュンヘンの悲劇後、チームには重く暗い空気がのしかかった。ダンカン・エドワーズ選手を始め、多くの選手、スタッフを無くしていたので当たり前だ。肉体的にも精神的にも多くのメンバーが傷を負っていた。
CLには控え選手を中心としたメンバーで出場、結果は敗退となったがチームは懸命に戦った。当時の監督だったバズビー監督は生還者の一人だった。育ち始めていたチームをなんとか立て直し巻き返しを図る。同じく生還者であるボビー・チャールトン選手ともに、チームは上を向き始めた。そして事故から10年後の1968年にはCLでタイトルを獲得したのだ。ボビー選手が得意としていたのはミドルシュート。あのダンカン・エドワーズ選手と同じく「大砲」とも称される強力なシュートを持ち味としていた。長く立ち込めていた暗い空気には光が差し込み、悲劇的な事故を乗り越えたチームは、真の王者としてサポーターから愛されることになった。
なお、ミュンヘンの悲劇については多くの書籍や映画が出版・上映されている。代表的な映画としては『ユナイテッド ミュンヘンの悲劇』だろうか。事故までの経緯とその後のユナイテッドの復活が詳細に描かれている。

我らが「サー・アレックス」、ファーガソンが築いた時代

「サー」といえば、英国に多大な功績を残した大英帝国勲章受章者の呼称だ。ユナイテッドの黄金期を築いたアレックス・ファーガソンもこの勲章を持っている。
ファーガソン監督はかねてより優秀であったユナイテッドのユースチームをまとめあげ、次々にタレントたちをトップチームに引き上げていった。日本でも人気を博したデイビッド・ベッカム選手、そしてネヴィル兄弟、性格無比なパスを繰り出したポール・スコールズ選手やライアン・ギグス選手がその一角だ。ファーガソンの秘蔵っ子は、ユナイテッドから世界の舞台に羽ばたいていった。そこに暴れん坊と呼ばれたエリック・カントナ選手、クリスティアーノ・ロナウド選手ら“栄光の7番”の選手たちがマッチしていった。2013年にファーガソン監督は退任するが、指揮した27年の間にいくつものタイトルを残した。なかでも、1998-99シーズンにはリーグタイトル、国内カップ、CLを獲得し3冠を成し遂げ世界で最も強いクラブの1つになった。

不調に陥る王者、モウリーニョがもたらした変化とラストピース

ファーガソン監督退任後はデイヴィッド・モイーズ監督が引き継いだ。クラブは約250億円を超える資金を投資するも、成績は振るわずリーグ7位にまで落ちた。当然、クラブの絶対条件とも言えるCLへの出場は叶わず、モイーズ監督は辞任することになる。ロングボールを多用し、ヘディング頼みで得点を決めるスタイルには、多くのサポーターから批判の声が集まった。日本では「モイモイサッカー」と揶揄する声もあった。その後はルイ・ファン・ハール監督が指揮を執るも、やはり成績は振るわず辞任。
2016-17シーズンからはカリスマ監督として名高い「スペシャル・ワン」こと、モウリーニョ監督が指揮を執っている。20節終了時点では勝ち点39で首位のチェルシーとは10点差となっている。チームにはズラタン・イブラヒモビッチ選手や歴代最高額(約130億円)での移籍となったポール・ポグバ選手らが在籍している。ユナイテッドは未だ完全な復活には至っていない。
しかし、チームにはズラタン・イブラヒモビッチ選手という、勝利のメンタリティを体現する選手が訪れた。そしてそのメンタリティはモウリーニョ監督のカリスマ性とも相まって、チームの気運は高まってきている。マーカス・ラッシュフォード選手や、アントニー・マルシャルら若手選手にもさらなる成長の兆しが見えている。ユナイテッドにおいて“7番”という番号はとても特別だ。近年ではこの7番に見合わないとされる選手ばかりで、C・ロナウド選手以降真の後継者は現れていない。もし、この7番に見事合致する“ラストピース”が見つかれば、ユナイテッドは王者の風格を取り戻せるだろう。