涙のEURO
涙のEURO。2016年、フランスの舞台でこのドリブラーは涙を流していた。いきなりの負傷交代。母国ポルトガルを背負う大きな背中からは、やるせなさが滲み出ていた。キャプテンマークを泣く泣く長年の友人であるナニ選手に託した。
思えばこの12年前。2004年大会のEUROでも涙を流していた。
昔から大きな期待と共に、ロナウド選手は歩んできたのだ。故に彼にのしかかる精神的な重圧も大きかったことと思う。それは今も昔も変わらない。
彼の歩む道は勝利への道。彼の歩いた後には栄光があり、彼の歩む先にも栄光が期待されていた。
スポルティングが生み出す、名立たるサイドアタッカー
ロナウド選手は1997?2002年シーズン、ポルトガルの強豪スポルティングのユースに在籍していた。彼がこのクラブを選んだのは母の勧めだった。母の大好きなクラブだったのだ。
ロナウド選手はスポルティングで徐々にステップアップ。サイドでの爆発的な突破力は観る者の目をくぎ付けにさせた。まだ若く荒削りではあったものの、確かにヨーロッパ全土で通用するであろう、大器の片鱗を見せ始めていたのだ。
スポルティングはロナウド選手の他にもリカルド・クアレスマ選手や、ナニ選手といった名立たるサイドアタッカーを生み出している。
それは現在も同じ。ジェルソン・マルティンス選手など、偉大な先輩たちの後を追う後輩が続いている。
ロナウド選手はこのスポルティング時代から、非常に練習熱心だった。常にボールを追いかけ、ドリブルを繰り返し、己の持ち味を高めることに妥協を許さなかったのだ。
サッカー選手には「天才」と呼ばれる選手が何人か居る。ロナウド選手もこの天才に間違いなく入ると思われるが、彼はまさに「努力の天才」だ。30歳を超えてもなお、彼はトレーニングを怠らない。