【ボランチ名選手 その1】ドゥンガ(ブラジル)
90年代に活躍したブラジル代表のドゥンガ。94年のアメリカW杯を制したブラジル代表でキャプテンとしてチームを牽引。ファウルを厭わず泥臭い仕事を完璧にやってのけ中盤を掌握。90分間チームを鼓舞し続け、味方を激しすぎるほどに叱咤激励する姿が特徴的な「熱い」選手だった。1995年にはVfBシュトゥットガルトからジュビロ磐田に移籍。
1998年に退団するまで99試合に出場。ピッチ内外で若いチームにプロ意識を注入して、1997年にはJリーグ初優勝を達成し、ジュビロ磐田が日本のトップクラスに駆け上がる原動力となった。引退後は2度にわたってブラジル代表監督の座に就き、名キャプテンから名将へと変身を遂げた。
【ボランチ名選手 その2】ダニエレ・デ・ロッシ(イタリア)
イタリアサッカー界が世界に誇るボランチプレーヤーの1人が、ASローマに所属するダニエレ・デ・ロッシだ。育成年代からローマ一筋、恵まれたフィジカルで対人プレーにも強く、足元から放たれる正確なパスで、攻守のつなぎ役として君臨。ユース時代にはFWとしてプレーしていたこともあり、ゴール前での飛び出し、エリア外からのミドルシュート、破壊力のあるヘディングも大きな魅力だ。
若くしてイタリア代表に選出され、国際Aマッチキャップ数は102を数える。2006年ワールドカップ優勝メンバーの一人だ。
【ボランチ名選手 その3】クロード・マケレレ(フランス)
1991年にデビューし、2011年まで活躍したフランス人プレーヤー。圧倒的な運動量でピッチを駆け回り、幾度となくピンチの芽を摘んできた。2000年、レアルマドリードに入団。ベッカム、フィーゴ、ジダンなど攻撃的な選手ばかりを並べたチームにありながら、彼1人であらゆる守備のタスクを担うことで、数多くの勝利をもぎとってきた。
決して華やかではなく、まさに「黒子」に徹してきた選手だった。その後チェルシー、パリSGでプレーし2011年に引退。今も攻撃のタレントばかりを買い集めるレアル・マドリードのファンたちは、「マケレレみたいな選手が必要」と常々口にしており、10年以上経った今でも彼の貢献を讃えている。
【ボランチ名選手 その4】セルヒオ・ブスケツ(スペイン)
FCバルセロナに所属するMF。スペイン国内では現役プレーヤーの中で最も完成度が高いボランチプレーヤーとして評価されている。2005年、FCバルセロナに入団。ユース時代から1つずつ階段を登りトップチームにまで昇格。グアルディオラやシャビの系譜を継ぐ「バルサメソッド」を体現するプレーヤーだ。
190cmを超える大型ボランチ(センターハーフ)でフィジカルコンタクトにもめっぽう強いだけでなく、大きな体躯とは結びつきにくい、繊細な足元の技術を有している。中盤の底からサイドもしくは前線に的確にパスを提供する。2010年ワールドカップ、2012年のヨーロッパ選手権優勝の原動力となった。
【ボランチ名選手 その5】ミヒャエル・バラック(ドイツ)
攻撃的なポジションだけでなく守備力も併せ持ったドイツ人プレーヤー。攻撃力に優れたボランチとして2000年代初頭に活躍した。2002年にレバークーゼンがチャンピオンズリーグ準優勝を果たす原動力となり、翌年にはバイエルン・ミュンヘンに移籍。5年間にわたり中盤の核として活躍すると、2006年、活躍の場をイングランド・プレミアリーグのチェルシーに移す。
ヨーロッパのビッグクラブでもドイツ代表でも実力を遺憾なく発揮したにもかかわらず、引退までタイトルとは無縁。ワールドカップ、ヨーロッパ選手権、チャンピオンズリーグ、国内リーグいずれも最高成績は準優勝止まり。名選手でありながら、シルバーコレクターとしても知られている。
まとめ
攻守のつなぎ目として機能しながら、ピッチ全体を掌握しなければならないボランチというポジション。ストライカーと比べれば、華やかさに欠ける役割と言えるかもしれないが、本稿で紹介した5人はサッカーの歴史に名を刻む選手たちだ。今後のサッカー観戦時にぜひ注目してみてほしい。