横浜F・マリノスの歴史
Jリーグ創立時からの加盟チームのひとつである横浜マリノス。J創立時にはスター選手が多く、優勝候補筆頭だったヴェルディ川崎に開幕戦で勝利しました。以来、マリノスvsヴェルディは黄金カードと呼ばれ、Jの人気を支え続けています。
前身は1972年創部の日産自動車部で1999年からは、同じ横浜にホームを置きJ開幕時の加盟チームのひとつであった横浜フリューゲルスを合併吸収しました。フリューゲルスは最後の試合となる1999年1月1日天皇杯決勝で勝利し優勝を果たし、この年から横浜F・マリノスに改称しました。
横浜F・マリノスのホームタウン
横浜F・マリノスは神奈川県横浜市と横須賀市にホームタウンを置きます。地域の人達を中心にサッカーの楽しさを伝える事業の一環として、1999年から「ふれあいサッカープロジェクト」を開始。ホームスタジアムは日本有数のスタジアム、日産スタジアムです。日産スタジアムは2002年の日韓ワールドカップの本大会会場であり、日本代表がワールドカップ初勝利を挙げた記念すべきスタジアムとなりました。また、FIFAクラブワールドカップの決勝戦が行われるスタジアムでもあります。
観戦時におすすめの服装
スペイン語で船乗りを意味するマリノス。海を渡り世界を目指す姿と港町である横浜を重ね合わせたネーミングとなります。キャラクターはカモメをモチーフにしており、チームカラーはトリコロールと呼ばれる、青、赤、白です。観戦時におすすめしたい服装は、横浜F・マリノスのユニホームですが、服装のどこかに青や白を取り入れておけば横浜F・マリノスのサポーターとして試合を楽しめるのではないでしょうか。
サッカーの色は言わば縄張りのようなものなので、対戦相手のチームカラーをイメージさせる服装での観戦はあまりおすすめできません。
これだけは知っておきたい横浜F・マリノスのこと
横浜F・マリノスには今後だれも背負うことのない永久欠番である「3」番が存在します。世代別の代表に選ばれ続け、日本代表でも日本屈指のDFとして人気を博した松田直樹選手がかつて横浜F・マリノスで背負った番号です。
闘争心むき出しのプレーがファンを魅了し、ミスターマリノスと呼ばれるほどの人気選手で1995年から16年にわたりマリノスでプレーしていました。マリノスを離れた後は当時JFLの松本山雅FCでプレーし、記憶に新しい2011年8月の練習中、急性心筋梗塞によりその生涯に幕を閉じました。
ライバルチームは?
Jリーグ創立時、黄金期であったヴェルディ川崎との対戦は、黄金カードと呼ばれるほど人気を博しました。現在は、実力差も考慮し挙げるならば、神奈川県川崎市にホームタウンを置く、川崎フロンターレでしょうか。ファンは、昔のヴェルディのような白熱した試合のできる、ライバルと呼ばれるチームの出現を心待ちにしているのではないでしょうか。
まとめ
若く有望な選手の育成に力を入れたり、地域の人達とサッカーでふれあう活動をしていたりと、日本のサッカーの発展、盛り上げにはなくてはならないチームである横浜F・マリノス。ナショナル、クラブのワールドカップの決勝戦でも使われ、収容人数7万人を超える日本屈指の日産スタジアムでの試合は、サッカー観戦初心者でもその迫力、面白さを感じとれることでしょう。チームのことを知れば知るほど応援したくなりますね。