ジュビロ磐田の黄金時代
ジュビロ磐田といえば、Jリーグの一時代を創ったクラブだ。鹿島アントラーズと2強時代があり、Jリーグが大きく発展したといっても過言ではない。
かつてJリーグを彩った選手の1人ゴン中山こと中山雅史や、日本代表のエースストライカーとして活躍した高原直泰、2016年にはジュビロ磐田の監督を務めた名波浩など、そうそうたるメンバーで築き上げた黄金時代。Jリーグをリードし、たくさんの人に憧れを抱かれる存在だった。
ジュビロ磐田といえば、Jリーグの一時代を創ったクラブだ。鹿島アントラーズと2強時代があり、Jリーグが大きく発展したといっても過言ではない。
かつてJリーグを彩った選手の1人ゴン中山こと中山雅史や、日本代表のエースストライカーとして活躍した高原直泰、2016年にはジュビロ磐田の監督を務めた名波浩など、そうそうたるメンバーで築き上げた黄金時代。Jリーグをリードし、たくさんの人に憧れを抱かれる存在だった。
2014年から19年まで監督を務めた名波はチームのレジェンド的存在の一人といえ、監督としてチームを率いていることは感慨深く、サポーターにとっても特別なものだった。
当時のチームスタッフには、同じくジュビロ磐田でプレーし黄金時代を築き上げた鈴木秀人、日本代表としても活躍した服部年宏もいた。
過去にジュビロ磐田がリーグ優勝したのは3度。他にもヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、ステージ優勝、天皇杯優勝を含めると多くのタイトルを手にしている。
リーグ優勝の際に行われた優勝報告会とパレードのルートは、磐田市見付本通り松菱マート前→磐田市ジュビロード→磐田市役所だった。
2001年チャンピオンシップでの戦いは、Jリーグの伝説のひとつとも言える熱戦だった。
第一戦目を2-2のドローで迎え、運命を決める2戦目。当時は決めたらそこで終わりのVゴール方式。90分では決着がつかず、延長前半10分。鹿島アントラーズの小笠原満男がFKのチャンスを得て、ジュビロ磐田のゴールネットを揺らした。
今でも強豪だったと語り継がれる当時のチーム。惜しくも優勝を逃してしまったものの、いまだ「もし優勝していたら」と考えるサポーターも多いだろう。
かつてのサッカー王国といえば静岡県。近年はサッカー王国静岡といっても全国的に見て元気がない印象。育成世代の強かった高校やJクラブユースも、全国で勝つことが難しくなった。プロクラブでも同様、厳しい状況が続いていた。
その活性化のためにも、優勝をして再びサッカーで盛り上がる地域となるきっかけがほしいところ。優勝すれば、地域性もあり多くの人々が喜んでくれる。そして街や県全体が活気付くだろう。