育成年代で注目を集めるも伸び悩んでいた北川
日本サッカー協会は川崎フロンターレの小林悠の負傷辞退を受け、パナマ戦、ウルグアイ戦に向けた日本代表に清水エスパルスの北川航也を追加招集を発表。
フィールドプレイヤーとして清水エスパルスから日本代表に招集されるのは2011年1月、アジア杯(岡崎慎司、藤本淳吾、本田拓也)以来7年9か月ぶりである。
日本代表初招集となった北川はオリンピックにも出場しておらず、プロ4シーズン目とはいえチームで本格的にポジションを掴んだのは今季から。全国的な知名度としてはまだそれほど高くはないだろう。
しかし彼も育成年代から大きな注目を集めていた選手の1人だった。
北川航也の名前が最初に知られることになったのは彼がまだ清水エスパルスジュニアユースに所属していた中学生のころ。
鋭い動き出しからマークを外す俊敏さと、強烈なシュートを打つことができる両足が武器に、日本クラブユース選手権(U-15)で大会MVPと得点王を同時に獲得。ストライカーとして世代別代表にもコンスタントに選ばれる選手となった。
同世代の世代別代表には現在ドイツでプレーする井手口陽介らがいる。
しかし、この世代最初の国際大会であるU-17ワールドカップのメンバーからは落選した。
これは当時のU-17日本代表は吉武監督が率い「96ジャパン」と呼ばれたチームの戦術によるところが大きい。
FCバルセロナをモデルにし「0トップ」の布陣をベースにしたポゼッションに特化したチームで、当時は世界的にも大きな注目を集めたチームだったが、このチームには北川が得意とするストライカーのポジションは無かった。
そして高校生になるとU-19日本代表にも選出されていたが、このチームで注目を集めたのは先日のコスタリカ戦で日本代表初ゴールを決めた南野拓実だった。
リオ五輪に出場したU-23日本代表にも選出される可能性もあったが、浅野拓磨などプロ入り後もチームで出場機会を掴んでいた選手に比べ、北川はチームでポジションを掴みきれず選外に。
かつての期待をよそに足踏みが続きチャンスを掴みきれない。そんな印象が強い選手だった。