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17年間ありがとう。ヴァンフォーレ甲府の7番 石原克哉

2018 1/24 11:42Aki
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左サイドで躍動するドリブラー

華やかな世界とはかけ離れた形で始まった石原のプロ生活。
一方でクラブが厳しい状況であったからこそ、大卒選手である石原は即戦力として早くから試合出場のチャンスを得ることができ、また持ち前の反骨心もあり、恵まれたチームに負けたくないとの思いでルーキーシーズンから出場機会を重ねていった。

定位置としたのは左サイド。奔放なドリブル突破からのチャンスメイクで2003年にはチームのアシスト王にもなった。クラブの財政危機も脱し、チームの成績も徐々に上向く。
そして2005年にはついにJ1に昇格する。石原は中心選手として活躍をみせ、クラブがJ1で初めて勝ち点を獲得したジェフユナイテッド千葉戦では2アシストを記録している。

献身的な動きと運動量の多さが特徴の選手へ

初のJ1となった2005年から背番号を14番から7番に変え、J1残留にも貢献した石原選手だったが、自身にとって決して納得がいくシーズンではなかった。
というのも前年2004年オフに両膝を手術した影響からか、自分のイメージ通りのドリブルができなくなっていた。思い通りにプレー出来ない苛立ちを味方にぶつけてしまうこともあった。

そんな石原を救ったのは当時コーチだった安間貴義氏。安間氏は苛立ちを見せる石原に対しはっきりと間違いだと伝えた。この安間氏の助言を受け、石原はガラリとプレースタイルを変えた。
元々もっていた豊富な運動量を自分がドリブルをすることだけに使っていたのに対し、周りを見て周り選手のために、チームのために、攻守の切り替えやフリーランニングとして使うようになったのだ。
14番をつけていた頃の石原はドリブラーだった。しかし7番をつけた石原は周りのために走る事ができる選手となった。

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