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17年間ありがとう。ヴァンフォーレ甲府の7番 石原克哉

2018 1/24 11:42Aki
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ヴァンフォーレ甲府のバンディエラ、石原克哉

ヴァンファーレ甲府は大企業を母体としない地方都市のサッカークラブである。2012年に就任した城福監督は就任演説でヴァンフォーレ甲府をイタリアサッカーでいうプロヴィンチアだと呼び、大企業クラブに「プロヴィンチアとして割り込んでいく」と語った。

ヴァンフォーレ甲府をプロヴィンチアとイタリア語になぞらえるならば、選手に対しては「バンディエラ」という言葉がある。イタリアサッカー界では、「長年ひと筋で尽くし続け、チームの顔と言える選手」に親しみを込めてそう呼ぶ。
石原克哉はヴァンフォーレ甲府にとってまさしくそんな存在だった。前身となる甲府クラブ時代も含めてクラブ最長となる17年間をヴァンフォーレ甲府でプレーし続けた。

加入してみるとクラブはどん底の状態だった

石原は地元、山梨県韮崎市出身。順天堂大学を卒業後、2001年にヴァンフォーレ甲府に加入した。ヴァンフォーレ甲府はJ2、3年目のシーズンだった。
当時のチームは2年連続最下位であり成績面でも苦しんでいたが、それ以上に経営面で大きな問題を抱えており、危機的状況を迎えていた。

ヴァンフォーレ甲府は親会社を持たないクラブである。クラブは設立初年度から財政基盤が整っていないにもかかわらず無理な強化を進め、毎年多くの赤字を出し続けていた。
その結果、2000年10月には選手への給料の遅配に陥り、当時の社長の深澤孟雄が前職の退職金1100万円をつぎ込んで急場をしのぐ有様だった。

石原が最初に貰った月給はわずか5万円。他にアルバイトをしていた選手も何人もおり、最初の練習は学校の校庭を借りて行われたものだった。そんな中、2001年に海野社長(現会長)が就任する。
奇跡の再建ともいわれる海野社長の経営手腕により、多くの地元企業の支援を受け、地元のファンにより支えられるクラブへと変貌を遂げた。山梨中銀スタジアムの至る所に掲げられる地元企業の看板は今や名物となっている。
地元サポーターたちが真摯にクラブを支え盛り立てていく中、山梨県出身の石原にも大きな注目が集まることになる。

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