17年間ありがとう。ヴァンフォーレ甲府の7番 石原克哉|【SPAIA】スパイア

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17年間ありがとう。ヴァンフォーレ甲府の7番 石原克哉


ヴァンフォーレ甲府のバンディエラ、石原克哉

ヴァンファーレ甲府は大企業を母体としない地方都市のサッカークラブである。2012年に就任した城福監督は就任演説でヴァンフォーレ甲府をイタリアサッカーでいうプロヴィンチアだと呼び、大企業クラブに「プロヴィンチアとして割り込んでいく」と語った。

ヴァンフォーレ甲府をプロヴィンチアとイタリア語になぞらえるならば、選手に対しては「バンディエラ」という言葉がある。イタリアサッカー界では、「長年ひと筋で尽くし続け、チームの顔と言える選手」に親しみを込めてそう呼ぶ。
石原克哉はヴァンフォーレ甲府にとってまさしくそんな存在だった。前身となる甲府クラブ時代も含めてクラブ最長となる17年間をヴァンフォーレ甲府でプレーし続けた。

加入してみるとクラブはどん底の状態だった

石原は地元、山梨県韮崎市出身。順天堂大学を卒業後、2001年にヴァンフォーレ甲府に加入した。ヴァンフォーレ甲府はJ2、3年目のシーズンだった。
当時のチームは2年連続最下位であり成績面でも苦しんでいたが、それ以上に経営面で大きな問題を抱えており、危機的状況を迎えていた。

ヴァンフォーレ甲府は親会社を持たないクラブである。クラブは設立初年度から財政基盤が整っていないにもかかわらず無理な強化を進め、毎年多くの赤字を出し続けていた。
その結果、2000年10月には選手への給料の遅配に陥り、当時の社長の深澤孟雄が前職の退職金1100万円をつぎ込んで急場をしのぐ有様だった。

石原が最初に貰った月給はわずか5万円。他にアルバイトをしていた選手も何人もおり、最初の練習は学校の校庭を借りて行われたものだった。そんな中、2001年に海野社長(現会長)が就任する。
奇跡の再建ともいわれる海野社長の経営手腕により、多くの地元企業の支援を受け、地元のファンにより支えられるクラブへと変貌を遂げた。山梨中銀スタジアムの至る所に掲げられる地元企業の看板は今や名物となっている。
地元サポーターたちが真摯にクラブを支え盛り立てていく中、山梨県出身の石原にも大きな注目が集まることになる。

左サイドで躍動するドリブラー

華やかな世界とはかけ離れた形で始まった石原のプロ生活。
一方でクラブが厳しい状況であったからこそ、大卒選手である石原は即戦力として早くから試合出場のチャンスを得ることができ、また持ち前の反骨心もあり、恵まれたチームに負けたくないとの思いでルーキーシーズンから出場機会を重ねていった。

定位置としたのは左サイド。奔放なドリブル突破からのチャンスメイクで2003年にはチームのアシスト王にもなった。クラブの財政危機も脱し、チームの成績も徐々に上向く。
そして2005年にはついにJ1に昇格する。石原は中心選手として活躍をみせ、クラブがJ1で初めて勝ち点を獲得したジェフユナイテッド千葉戦では2アシストを記録している。

献身的な動きと運動量の多さが特徴の選手へ

初のJ1となった2005年から背番号を14番から7番に変え、J1残留にも貢献した石原選手だったが、自身にとって決して納得がいくシーズンではなかった。
というのも前年2004年オフに両膝を手術した影響からか、自分のイメージ通りのドリブルができなくなっていた。思い通りにプレー出来ない苛立ちを味方にぶつけてしまうこともあった。

そんな石原を救ったのは当時コーチだった安間貴義氏。安間氏は苛立ちを見せる石原に対しはっきりと間違いだと伝えた。この安間氏の助言を受け、石原はガラリとプレースタイルを変えた。
元々もっていた豊富な運動量を自分がドリブルをすることだけに使っていたのに対し、周りを見て周り選手のために、チームのために、攻守の切り替えやフリーランニングとして使うようになったのだ。
14番をつけていた頃の石原はドリブラーだった。しかし7番をつけた石原は周りのために走る事ができる選手となった。

ヴァンフォーレ甲府の色は石原克哉そのもの

2006年以降、チームは2度のJ2降格J1昇格を繰り返すこととなるが、常にその中心にいたのは石原だった。石原はプロ2年目の2002年から2013年まで12年連続で開幕戦に出場しているのだが、2007年からの3年間は珍しい起用のされ方をしている。
2007年の開幕戦は3ボランチの1人として、2008年はFWとして、2009年はサイドバックとしてと、3年連続で異なるポジションで出場しているのだ。開幕戦では通常あり得ない。

チームメイトの怪我や出場停止の影響で、緊急に異なるポジションを務める選手はいる。しかし、シーズンの中で最も準備期間が長いともいえる開幕戦を、3年連続で異なるポジションで出場するというというのは異例中の異例。
石原は周りのために走るという献身的なプレースタイルに加え「ポリバレント(臨機応変に多様な価値を発揮するという意味。オシム監督が使ったことで知られる語)」なプレーヤーへと進化し、様々なポジションでチームを支え続けた。

ピッチ内では石原の加入より1年遅れてジェフユナイテッド千葉から加入した山本英臣選手がキャプテンシーを発揮することも多かった。その山本は石原のことについて


「誰とでも(距離が)近い。チームが一つになれているのは彼がいるから。このチームの色は石原克哉そのもの」

出典:スポーツ報知

と語る。日本のプロヴィンチア、ヴァンフォーレ甲府とって石原選手はまさにバンディエラだった。

そんな石原も近年は怪我に苦しみ、ついに2017年かぎりでの現役引退を発表した。日本代表はもちろん、得点王やベストイレブンにも縁は無かったが、その偉大な背中が背負い続けた背番号7番は、ヴァンフォーレ甲府にとって間違いなく特別な番号である

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