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「清水の誇り」杉山浩太選手が背負った清水エスパルスの背番号6番

2018 1/24 11:44Aki
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大榎克己氏の6番を引き継ぐ

地元静岡市で生まれ、清水エスパルスの下部組織で育った杉山はプロ3年目の2005年、背番号をそれまでの31番から6番に変更する。清水エスパルスの6番といえば、クラブ設立時のスター「清水三羽ガラス」の1人。
大榎克己氏が背負った番号。大榎氏引退後はブラジル人選手らがこの番号をつけたが定着しなかった。
しかし2005年、改めてその大切な番号が下部組織出身の杉山に託されたのだ。ちなみにこの2005年は同じく「清水三羽ガラス」の1人であった長谷川健太氏が清水エスパルスに監督として戻ってきたシーズンでもある。

長谷川監督の下で6番を託された杉山だったが、順調に出場を重ねられたわけではなかった。出場すれば素晴らしいプレーを見せていた杉山だったが、怪我も多くまた幼少期から患っていた重度の気管支喘息にも苦しんでいたからだ。
特に秋頃は少しの気温差でも苦しくなるためほとんど試合に出場することができず、2006年の秋にはチームから離れ沖縄で静養することもあった。 2007年には北京オリンピックアジア二次予選を戦うU-22日本代表にも選出されていたが、チームでの公式戦出場は半分以下の16試合に留まり、シーズン終了後に柏レイソルへの期限付き移籍が発表された。

大きな転機となった柏レイソルでの2年間

杉山のキャリアで、初めて清水エスパルス以外のチームでプレーすることになった柏レイソルの2年間は大きな転機となった。その1つは長年苦しんだぜんそくに真正面から向き合い、本格治療を始めたこと。
同じ病気で苦しみながらもオリンピック金メダリストとなったスピードスケートの清水宏保氏から助言も受け、さらに食事療法にも取り組んだ。また当時の柏レイソル監督石崎信弘氏も杉山をサポート。杉山の能力を高く評価していた故である。

中3日で飛行機移動を伴うアウェイ遠征ではベンチ外となることもあったが、日程に余裕がある場合は杉山の体調を考慮し、アウェイ遠征では異例の2日前に現地入りするなどの対策をとった。
こういった努力により症状も徐々に改善。期限付き移籍2年目となった2009年のプレシーズンマッチでは2007年6月以来となる617日ぶりとなる90分間フル出場も果たし、ここまでのキャリア最多となる公式戦25試合に出場した。
もう1つ特筆すべきは、守備的ミッドフィールダーとしてコンビを組んだ柏レイソルの大谷秀和の存在だった。大谷と杉山は同学年。柏レイソルのジュニアユースからユース、トップチームへと進んだ大谷と、清水エスパルスジュニアユースからユース、トップチームへと進んだ杉山は


「中学生のころから一緒に試合をしていた」(大谷)間柄。

出典:ブロゴラ

プロ入り後もプライベートでも交流のあった2人は、ピッチでコンビを組むと抜群のコンビネーションを発揮。ついに杉山がその実力に見合ったプレーをピッチで見せ始めた。

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