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2017年シーズン2冠を達成!セレッソ大阪が身につけた「強さ」

2018 1/10 12:12Aki
セレッソ大阪
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J1で「最も弱い」チームがシーズン2冠を達成

かつての森島寛晃氏にはじまり、西澤明訓氏、大久保嘉人選手。近年では香川真司選手、乾貴士選手、清武弘嗣選手、山口蛍選手、柿谷曜一朗選手と、セレッソ大阪は数多くの日本代表選手を輩出してきた。
しかし、2016年までセレッソ大阪として獲得したタイトルはなかった。2010年以降は、2度のAFCチャンピオンズリーグ出場を果たすなど、好成績を上げるシーズンもあるのだが、2014年にはJ2に降格してしまう。
豊富なタレントを擁し、強い時は本当に強いのだが、一旦崩れると簡単に負けてしまう。セレッソ大阪はそんな印象を拭えないチームだった。

2017年、2シーズンぶりにJ1へ復帰したセレッソ大阪だが、昇格プレーオフでなんとかJ1復帰を果たしたに過ぎない。前年度シーズン終了時点では、J1で「最も弱い」チームだった。
シーズンが開幕すると上位争いを繰り広げ、11月4日のYBCルヴァンカップで決勝クラブ史上初のタイトル獲得。さらに2018年1月1日の天皇杯決勝でも勝利し、シーズン2冠を達成した。1年でいきなり2つのタイトルを獲得したのだ。

同じ相手に4度負けるわけにはいかない横浜F・マリノス

YBCルヴァンカップ決勝は開始早々に相手のミスから先制を奪う展開となったが、天皇杯決勝はそうはいかなかった。
先制したのは横浜F・マリノス。2回のリーグ対戦に加え、ルヴァンカップでも同グループと、今季3度の対戦があり、その全てでセレッソ大阪が勝利していた。
横浜F・マリノスはさすがに同じ相手に4度負けるわけにはいかないと、セレッソ大阪をきっちり分析し、はっきりとした狙いをもってこの決勝に挑んでいた。伊藤翔選手が挙げた先制ゴールはまさに狙い通りの形だった。

横浜F・マリノスの分析は、攻撃だけでなく守備にも発揮される。セレッソ大阪は、今季ベストイレブンにも選ばれたエース杉本健勇選手不在の影響もあり、攻撃はするもののどこかぎこちない。
今季の特徴であるダイナミックな展開も見せられず、清武選手や柿谷選手のテクニックも不発。1点リードしているだけでなく、試合の主導権も横浜F・マリノスが握っていた前半だった。

試合展開を動かしたセレッソ大阪

横浜F・マリノス有利で迎えた後半、セレッソ大阪は勝負をしかけた。それまでとっていた攻守のバランスを一気に攻撃側に傾け、前がかりになる。
しかし前がかりになるということは、自陣にスペースを作るということでもある。セレッソ大阪は前半よりも相手ゴール前に迫る場面も増えたが、横浜F・マリノスがカウンターを仕掛ける場面も増え、危ない場面も前半よりも増える。
むしろ横浜F・マリノスの方がチャンスの数は多かった。

しかし後半開始から15分後、状況は一転する。このタイミングでセレッソ大阪が前がかりになって攻めることを止めたのだが、その時ピッチでは、前半に下がりすぎないように組織を作って守っていた横浜F・マリノスの守備のバランスが崩れていた。
セレッソ大阪の前がかりになって攻める姿勢に合わせるようになっていたのだ。この隙を見逃さなかったセレッソ大阪は、後半20分に山村和也選手が同点ゴールを決めるとそのまま延長戦に突入する。
延長前半5分に水沼宏太選手が逆転ゴールを決めると、その後は守備を固めて逃げ切り、2-1で試合は終了した。セレッソ大阪が天皇杯を制し、2017年2つめのタイトルを獲得した瞬間だった。

タイトルの取れるチームになったセレッソ大阪

YBCルヴァンカップ決勝は早い時間に奪ったリードを守りきり、最後にカウンターで一刺ししての優勝だった。
しかし天皇杯決勝は早い時間にリードを奪われ、試合展開でも後手を踏んでいたが、そこからリスクを負って仕掛け逆転に成功するという「強いチームの勝ち方」を見せた。
セレッソ大阪は、2016年はJ2でも思うような戦いができず4位。プレーオフで何とかJ1に滑り込んだチームだ。

もちろん2016年にはいなかった水沼選手や清武選手の存在も大きいが、それ以上に尹晶煥監督がもたらしたチームの規律が大きいのだろう。
また、YBCルヴァンカップに優勝したことで得たものも大きかったはずだ。この経験により「自分たちは優勝することが出来るチーム」だという確信を得ることができた。
また、我慢して戦っていれば勝つことができるという成功体験も積んだ。これにより、たとえ厳しい状況であったとしても自分たちを信じて戦うことができたのだ。

セレッソ大阪と横浜F・マリノス

天皇杯決勝を戦ったセレッソ大阪と横浜F・マリノスは少なからず縁のあるチームだ。天皇杯決勝をこの両チームが争うのは、共に前身となるヤンマーディーゼルサッカー部と日産自動車サッカー部が戦った1984年1月1日の第63回大会決勝以来34年ぶりだった。

日産自動車サッカー部は、地域リーグから徐々にカテゴリーを上げ、この第63回大会がクラブ史上初の天皇杯決勝、初のタイトルをかける勝負となった。結果、日産自動車サッカー部が勝利し、クラブ史上初タイトルを獲得。
ここから名門日産自動車サッカー部の栄光の歴史が始まり、現在の横浜F・マリノスとつながっていくのだ。
セレッソ大阪は横浜F・マリノスを下し、初めての天皇杯優勝を達成した(ヤンマー時代を除く)。今度はここから、セレッソ大阪の栄光の歴史が始まるのかもしれない。