グラフィックで見る三浦知良の軌跡
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食費と寮費は2年間無償だが、給料はなしという条件で練習生として加入した。
寮では同年代の選手が20人ほどと共に暮らし、決して綺麗ではなかったが食事も問題なく生活に苦労することは無かったそうだ。
しかし大きかったのは言葉の壁。枕元には常に辞書があり、週1~2回は40分ほどかけてポルトガル語学校に通っていた。
三浦選手にとってこの寮生活は思い入れが強く、今でも寮の住所をはっきりと覚えているという。
プロサッカー選手としての本格的なキャリアは、キンゼ・デ・ジャウーへ移籍したことから始まったと言える。その大きな一歩となったのは加入から約1ヶ月後に訪れたコリンチャンス戦だった。
コリンチャンスはブラジルで最も人気のあるクラブの1つ。現役ブラジル代表が3人、元代表も1人いた。
三浦選手は何度もドリブルでチャンスを作り、最後には決勝ゴールを決める大活躍。
現地の新聞では「ブラジル代表が日本人にやられた」と大きく取り上げられた。
「外れるのはカズ、三浦カズ」
悲願のワールドカップ初出場目前、合宿地スイスで当時の日本代表監督岡田武史氏より、日本代表から三浦選手が外れることが発表された。
ワールドカップ最終予選途中からコンディションを崩しており「もしかすると」との予感はあった。
帰国会見はワイドショーなどでも取り上げられ、「日本代表としての誇り、魂みたいなものは向こうに置いてきた」(Number700号、2008/03/19)とのコメントも話題となった。
Jリーグ初の選手兼監督補佐となった三浦選手。この役職について本人は「クラブキャプテン」だと語っている。
通常どのチームにも、キャプテンマークを巻く「ゲームキャプテン」がいるが、欧州ではさらにクラブの象徴的な選手が務め、会長や監督と選手のパイプ役となる「クラブキャプテン」がいるクラブもある。
三浦選手は横浜FCでゲームキャプテンを助けるそんな存在になろうと考えていた。
横浜FCはこの2006年に見事J2で優勝、J1昇格を果たしている。
三浦選手が50歳14日で決めたゴールは、Jリーグ最年長記録更新はもちろん、イングランドの伝説的FWスタンリー・マシューズ氏が持つ50歳5日をも更新する、プロ選手による世界最年長ゴールとして報道された。
三浦選手は今や世界中で注目されており、ワールドカップ抽選会のパーティーでも、ブラジル時代の活躍を知る元ブラジル代表のロナウド氏や、セレッソ大阪在籍時に対戦しているフォルラン選手ら、世界のレジェンドたちが三浦選手を参加者に紹介している。(年表・本文作成:Aki)