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FC東京のディフェンスリーダーが背負う背番号3番

2017 12/26 15:34Aki
サッカーコート
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クラブ創成期はブラジルとの関係が深かったFC東京

近年はランコ・ポポヴィッチ氏、マッシモ・フィッカデンティ氏とヨーロッパの監督が率いているFC東京だが、FC東京の前身となる東京ガス時代からのちにキング・オブ・トーキョーと呼ばれるアマラオ氏に代表されるように、ブラジルサッカーの影響を大きく受けたクラブだった。
それを象徴しているのが、Jリーグに昇格した1999年から2009年までの間でFC東京に所属した外国人選手19人中16人が、ブラジル人であったという事だ。

近年はベルギー国籍のピーター・ウタカ選手やスペイン国籍のサンダサ選手、オーストラリア国籍のネイサン・バーンズ選手など多国籍軍となっているが、元々はブラジル人ばかりを獲得していたのだ。
ランコ・ポポヴィッチ氏が就任するまでは、監督も大熊清氏や原博実氏らの日本人監督が続き、唯一の外国人監督は、ブラジル人のアレシャンドレ・ガーロ氏だった。

ディフェンスリーダーがつける、背番号3番

ブラジルとの深い関係を感じさせる部分が、今のクラブにも残っている。 それは背番号3番がディフェンスリーダーの番号となっている事だ。ヨーロッパでは左サイドバックが背負う事の多い背番号3番だが、ブラジルではセンターバックの番号である。

2017年のブラジル代表でも背番号3番はインテル・ミラノに所属するベテラン、ミランダ選手がつけるなど、歴代のディフェンスリーダーが背負ってきた番号なのだ。FC東京でもブラジル代表同様に背番号3番は歴代のディフェンスリーダーが背負ってきた。

初代3番、サンドロ氏

FC東京の初代背番号3番はサンドロ氏。高校時代に日本に留学し、そのままジェフユナイテッド市原(当時)に加入し、活躍を見せていたセンターバックだ。
サンドロ氏は、ジェフユナイテッド市原から1997年にJFLの強豪本田技研へ移籍。その翌年に、1999年から始まるJ2リーグの参加を控えた東京ガスサッカー部に加入した。

高い守備力と空中戦に抜群の強さを発揮するセンターバックとして、1999年のJ2ではFC東京の大躍進を支えた。攻撃の核となったアマラオと、守備の核となったサンドロ。
この2人のうちどちらかが欠けていたら、FC東京が現在のような強豪クラブになることはなかっただろう。

FC東京躍進の立役者、ジャーン氏

サンドロ氏が背負った背番号3番は、2002年からジャーン氏に引き継がれた。2002年はFC東京監督に原博実氏が就任した年だ。
攻撃的サッカーを志向し、石川直宏選手や加地亮選手など多くのタレントを補強したが、チームを支えたのはジャーン氏と現セレッソ大阪の茂庭照幸選手によるセンターバックコンビだった。この2人を中心とした堅守がチームの軸となったのである。

ジャーン氏は空中戦の強さと高いディフェンス力はもちろん、若き日の茂庭選手の大きな武器であったスピードを上手く発揮させ、2003年にはJ1最少失点を記録した。
2004年にはクラブ史上初となるタイトル、ナビスコカップを制覇。決勝の浦和レッズ戦でジャーン氏はイエローカード2枚を受け退場となってしまうが、涙を見せて悔しがるジャーン氏の姿を見たチームメイトが「ジャーンのために」と結束し、神がかり的なプレーで優勝をつかみとった。

エバウド氏、佐原氏が受け継ぐことに

ジャーン氏が退団した2007年。FC東京はジャーン氏に代わるディフェンスリーダーとしてエバウド氏を獲得し、背番号3番を与えるが、負傷が続き結局1試合もプレーすることなく退団してしまう。
翌2008年は、川崎フロンターレから期限付き移籍で加入した佐原秀樹氏が3番を背負うこととなる。

佐原氏は、川崎フロンターレをチーム創設から支えるクラブ最古参の選手であったが、怪我で離脱した事をきっかっけにポジションを失い、バックアッパーになっており、出場機会を求めての移籍だった。
FC東京は3番が空き番号となっていた事もあり、川崎フロンターレで3番をつけた佐原氏にこの番号を託したのだ。加入1年目は不動の存在として、茂庭選手と共にディフェンスリーダーとしてチームを牽引。
期限付き移籍期間を延長して迎えた2年目は、前年終盤に発症したグロインペイン症候群(股関節の付け根の怪我)の悪化と、今野泰幸選手がセンターバックにポジションを移したこともあり、公式戦出場が2008年の34試合から2009年は15試合にまで減少した。

翌2010年は移籍期間を延長せず、川崎フロンターレへ復帰した。FC東京でプレーしたのはわずか2年間のみだったが、特に2008年の活躍は厳しいチーム事情をささえるものとして記憶に残っているサポーターも多いだろう。

現在のディフェンスリーダー、森重真人選手

2010年背番号3番は大分トリニータから加入した森重真人選手が引き継ぐこととなる。森重選手は加入当初、プロ入り前のポジションである守備的ミッドフィールダーの位置でプレーすることが多く、スルガ銀行杯で対戦したLDUキトのバウサエドガルド・バウサ監督から高い評価を受けるほど充実したプレーをみせていた。

チームは機能しない戦術にこだわり続けた事もあってJ2降格となるが、翌2011年からは本来のセンターバックにポジションを移しJ1復帰を達成。2012年からは、それまで多かったラフなプレーも大幅に減少させ、ガンバ大阪に移籍した今野選手にかわってディフェンスリーダーとしての地位も確立し、日本代表でも中心選手となっていった。

近年は、2016年から続く戦術的な問題点を抱えたチームの混乱に巻き込まれる形でコンディションを落としていき、現在は怪我による長期離脱と厳しいシーズンを過ごしているが、ディフェンスリーダー3番をつけた森重選手の復活に、チーム再建の期待がかかる。

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