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悲願のJ1初昇格を果たしたV・ファーレン長崎

2017 12/6 13:53Aki
サッカーボール
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13チーム目のJ1初昇格

2017年の明治安田生命J2リーグも11月19日でレギュラーシーズン全42節を消化。
自動昇格圏となる2位にV・ファーレン長崎(ヴィファーレンながさき)が入り、悲願のJ1初昇格を果たした。

1999年にJリーグ ディビジョン2(当時)が開幕し、2017年で19シーズン目。これまでの18シーズンでのべ54チームがJ1に昇格してきたが、V・ファーレン長崎は2014年の松本山雅FC以来、3年ぶりに13チーム目のJ2からJ1初昇格チームだ。
九州勢では、アビスパ福岡、大分トリニータ、サガン鳥栖に続き4チーム目のJ1チームとなる。

2017年開幕直前に発覚した経営危機

2017年のシーズン開幕前に、V・ファーレン長崎がJ1昇格を達成すると予想した人は、ほとんどいなかったのではないだろうか。それは、前年の順位が15位だったという成績面からだけではない。
2017年シーズン開幕前直前の2月に深刻な経営問題が発覚。債務超過により2017年シーズン終了後には成績いかんにかかわらず、J3降格の可能性もあることがあきらかになったからだ。

またさらに、シーズン開幕直後の3月には翌月にも社員への給与未払いが発生する見込みであることが明らかにされ、もはやクラブそのものの存亡の危機とも言える状況だった。
そんなクラブの危機的状況を救ったのが、当時の筆頭株主であった地元長崎のジャパネットホールディングス。急遽V・ファーレン長崎を100%子会社化し、テレビショッピングでおなじみの高田明氏が社長に就任することでこの経営危機を乗り越えた。

V・ファーレン長崎の歴史

V・ファーレン長崎が誕生したのは2005年3月。長崎県有明町(当時)にあった有明SCと、高校サッカーの名門国見高校のOBチーム、国見FCが合併し長崎県リーグを優勝。このチームが九州リーグ参加にあたりV・ファーレン長崎となった。
JFL昇格を決めたのが2008年。2012年にJFLで初優勝を決めると、2013年からJ2に参入。
それと同時に、2005年のクラブ設立にテクニカル・アドバイザーに就任していた地元出身の元日本代表選手、高木琢也氏が監督に就任する。

J2初勝利こそ第4節まで待たなければならなかったが、第2節のホーム開幕戦では遠藤保仁選手や、今野泰幸選手ら日本代表選手を擁するガンバ大阪に引けを取らない堂々とした戦いを披露。
結果は黒星となったが、名将高木監督に率いられたチームはサッカーファンに大きなインパクトを残した。この2013年のJ2新規参入チーム初年度としては、過去最高となる6位と大躍進。J1昇格プレーオフにも出場している。

2014年は14位と苦しむが、2015年には再び6位とプレーオフに進出。2016年度のチーム人件費をみると、J2平均5億5600万円にも及ばない3億2200万円とチーム規模は決して大きく無い。それにもかかわらず、4年間で2度の6位とは特筆すべき成績だ。

自動昇格圏の2位へと大躍進

過去に2度の6位の経験があるV・ファーレン長崎は、2017年はついに自動昇格圏となる2位へと躍進を見せた。
チーム人件費は、所属する選手のクオリティを表す目安になる。リーグ14番目のクラブの2016年度チーム人件費が、6位になることだけでも素晴らしい結果だが、2位は本当に驚くべき成績だ。
2017年にJ2で戦った22クラブのうち、半数の11クラブはJ1経験クラブ。しかもそのうち5クラブは、タイトル獲得経験もある。
2位とは、そんな中で勝ち点を積み重ね、さらに前年にJ1で戦っていた、降格してきた3クラブのうち少なくとも2クラブ以上の成績を納めない限りはたどり着けない領域なのだ。

この大躍進を引っ張ったのは、守護神 増田卓也選手、司令塔 島田譲選手、右サイドの槍 飯尾竜太朗選手、ストライカー ファンマ選手、スーパーサブ 中村慶太選手など多くの新加入選手だった。
クラブの規模的に、どうしても選手の入れ替わりが激しくなってしまうところがあるのだが、高木監督の走力と組織力をベースとした戦術に、彼ら5人をはじめとする新加入選手が完全にフィットした。

特に増田選手、島田選手、飯尾選手の3人はそれぞれ前所属クラブではレギュラーポジションを掴んでいたわけではなく、出場機会を求めて長崎へやってきた選手。その3人が2017年のJ2ベストイレブンに選ばれてもおかしくない活躍をみせた。

高田明社長による会社改革

2017年5月に急遽、V・ファーレン長崎の社長となった高田社長。J1昇格において高田社長の存在も大きかった。
サッカークラブでは前面に出てくるのはやはり選手や監督、強化責任者ぐらいまで。社長の名前が出てくることはほとんど無い。
しかし今季のV・ファーレン長崎が置かれた経営危機、クラブ存亡の危機ともいえる特殊な状況では、高田社長でなければここまでの躍進は無かったのではないだろうか。

まず高田社長が行ったのは会社の再生。これまでの問題点を全てあきらかにし、経営者として会社の正常化を図った。こうしてクラブ内外に経営問題を解消したことをアピール。
そしてクラブ運営のことは会社、サッカーのことは現場とそれぞれの役割と責任をはっきりさせた。

また、高田社長自らスタジアムに何度も足を運び、抜群の知名度を活かしてサポーターにもアピール。また来場客の満足度を上げるためのスタジアム改革も多数行っている。これによって生まれた一体感が、J1昇格を決めたホーム最終戦では22,407人もの観客を集め、チームを後押しすることになったのだろう。
ちなみに、ホームスタジアム トランスコスモススタジアムの収容人数は20,258人。この試合では収容人数以上の観客が押し寄せている。