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ブラジルサッカーの影響を感じる柏レイソルの背番号

2017 11/10 12:24Aki
サッカーボール
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過去に6人のブラジル人監督が就任している柏レイソル

ブラジルサッカーに影響を受けたクラブかどうか見極めるには、過去にブラジル人監督がどれだけ在籍していたかで見ることができる。
特にクラブの創成期にあたる時期にどのような監督が務めていたかは重要で、ここで作られたベースが後々大きく方向性を決めている。

そんなブラジルサッカーの影響を強く受けたクラブの1つが、柏レイソルだ。
柏レイソルはJリーグの加盟に向けて動き出した1993年から、2017年までの間に17人の監督が就任してきた。 この中で最多は日本人だ。現在の下平氏、現在日本サッカー協会で技術委員長を務める西野朗氏など10人の日本人監督がいる。
それ以外の7人は外国人監督となるのだが、この7人中6人はブラジル人監督。2012年にリーグタイトルをもたらせたネルシーニョ氏を筆頭に、ブラジルの名将がズラリと並ぶ。 ブラジル人ではなかった外国人監督は、最初、柏レイソルのコーチとして就任、そして監督へと昇格したイギリス人のスティーブ・ペリマン氏ただ1人である。
特にクラブの礎をつくった創成期となる1993年から1997年にかけて、ブラジル監督が続いた影響は大きいはずだ。その後、日本人監督がつとめた期間の方が長くはなるが、ブラジルサッカーの影響は現在でもみることができる。

ブラジルサッカーの影響を受けたチームが多いJリーグ

Jリーグにはブラジルサッカーの影響を色濃く受けているクラブが多い。 これは日本のJリーグが世界的には後発のプロリーグであり、創成期であるJリーグ開幕時期と前後して多くの外国人監督が就任するようになったことが大きいだろう。

日本サッカー界はかつて、デッドマール・クラマー氏(ドイツ人サッカー指導者、日本サッカーの父)に代表されるように、ドイツを始めとするヨーロッパサッカーの影響を色濃く受けていた。しかし、Jリーグ開幕前後に多くのブラジル人監督が来日することとなった。
もちろんヨーロッパからの監督も何人も来日したが、数としてはブラジル人監督のほうが圧倒的に多い。これはヨーロッパでは既に充実した自国リーグがあり、自国の側には別の国のプロリーグがある。自然とヨーロッパ内での移籍、就任が多くなる。

他方、「ブラジル人選手は世界中のプロリーグに存在する」と言われる事もあるように、ブラジル人は積極的に世界へと進出し、活躍することが多い。したがって、選手と同じようにヨーロッパの監督に比べるとブラジル人監督の方が呼びやすいという部分はあると思われる。

さらに、ブラジルでは短期間で監督を変えるチームが多い事も無関係ではないだろう。
ヨーロッパでは名将と呼ばれる監督は1つのクラブで長く監督を務める傾向が強いため、実績ある監督は既にどこかに就任していることが多いが、ブラジルでは名将と呼ばれ実績ある監督がフリーとなっている事も多い。

ブラジルではセンターバックの番号となる3番

ブラジルサッカーの影響を受けているかどうかを判断するのにわかりやすいのは、クラブ創設時から受け継がれてきた伝統的な背番号の付け方だろう。
サッカーの背番号はかつてポジションを表すものだった。サッカーが世界に普及していき、各地で独自に発展していく歴史の中でフォーメーションの進化が起こり、同じ番号でもそれぞれの国や地域によって、指すポジションが異なっていった。

その中でも比較的わかりやすいのが背番号「3番」だ。ブラジルで「3番」といえば、センターバックポジションを指す番号だ。しかしヨーロッパでは、同じ「3番」でも指しているのは左サイドバックポジションだ。
例えば、かつて世界最高の左サイドバックとよばれた元イタリア代表のパオロ・マルディーニ氏がつけたのが「3番」で、レアル・マドリードでもロベルト・カルロス氏が長らく「3番」をつけていた。 柏レイソルで「3番」をつけていた選手を振り返ると、薩川了洋氏や近藤直也選手らだ。
1997年に固定番号制となった際、最初に「3番」をつけたのはアントニオ氏だ。後にヨーロッパに移籍して登録名をザーゴとし、ASローマでは中田英寿氏と共にセリエA制覇に貢献したセンターバックである。

現在は左サイドバックのユン・ソギョン選手が「3番」をつけている。彼は柏レイソル歴史上初めて、左サイドバックで「3番」をつけた選手だ。それまでは、薩川氏や近藤選手も含め、「3番」はセンターバックがつける番号だった。

センターバックがつける番号4番

ブラジルでは「3番」と並んで「4番」もセンターバックを指す番号。しかしヨーロッパで4番は、現在世界一の監督と呼ばれるジョゼップ・グアルディオラ氏が現役時代につけていた守備的ミッドフィルダーを指す番号だ。「3番」と同じく「4番」もブラジルとヨーロッパの違いがわかりやすい番号となっている。

特にグアルディオラ氏がプレーしていたFCバルセロナにとって、このポジションは、最も重要なポジションといわれる。現在は同じポジションを背番号5番をつけたセルヒオ・ブスケッツ選手が務めているにもかかわらず、この守備的ミッドフィルダーのポジションを4番と呼ぶ事もある。

柏レイソルで4番をつけてきたのは、初代4番となった渡辺毅氏をはじめ、スペインのジムナスティック・タラゴナでプレーする鈴木大輔選手や、現在の4番である中谷進之介選手などセンターバックの選手がほとんどだ。
一時期、現在はフランスのオリンピック・マルセイユでプレーする酒井宏樹選手がつけていたこともあったが、彼も中盤の選手ではなくディフェンダー。また下部組織時代はセンターバックとしてもプレーしていた。

左サイドバックの6番もブラジルサッカーの影響

最後に挙げるのが「6番」だ。この番号は先程の「3番」と対になっている番号で、ブラジルでは左サイドバックがつける番号だ。
ヨーロッパでの「6番」は、元イタリア代表のフランコ・バレージ氏や、レアル・マドリードのフェルナンド・レドンド選手のように、センターバックや守備的ミッドフィルダーがつける番号だ。世界最高の左サイドバックと言われたロベルト・カルロス氏は、レアル・マドリードで「3番」だったが、ブラジル代表では「6番」をつけていた。
これまで柏レイソルで「6番」をつけてきたのは中谷勇介氏や、現在横浜F・マリノスで主力選手となっている山中亮輔選手、現在は守備的ミッドフィルダーの小林裕介選手がつけているが、主に左サイドバックがつけてきた番号である。

この様に歴代の背番号や、現在どのポジションの選手が何番の背番号を背負っているのかを見ると、そのクラブが創世記にどこの国のサッカーに影響をうけたのかを探ることが出来る。
背番号を見る時、そのルーツはどこにあるのかに注目してみるのも、サッカーの新たな楽しみ方の一つではないだろうか。