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ガンバ大阪に見られるヨーロッパサッカーの背番号

2017 11/10 12:24Aki
ガンバ大阪
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数々のブラジル人ストライカーがプレーしたガンバ大阪

関西の雄であるガンバ大阪。魅力的な攻撃的サッカーで常に優勝争いに絡む強豪チームとして知られ、日本代表選手はもちろんこれまで数々の外国籍選手も大活躍を見せてきた。
これまで、ガンバ大阪に所属していた外国籍選手で最も多いのはブラジル人選手だ。

特にストライカーにブラジル人選手が多く、2005年にJリーグMVPと得点王を同時受賞したアラウージョ氏、2006年のJリーグ得点王マグノ・アウベス選手をはじめ、レアンドロ選手、バレー選手、フェルナンジーニョ選手、マグロン氏、パトリック選手、そして2017年現在もガンバ大阪でプレーするアデミウソン選手など、素晴らしいブラジル人ストライカーが多くプレーしてきたクラブである。

過去にブラジル人監督は1人

クラブの創設期に関わった監督の影響は、その後そのチームの特徴として色濃く残ることがある。
多くのブラジル人選手がプレーしてきたガンバ大阪だが、他チームのようにブラジル人監督が多く就任してきたチームではない。

歴代監督を見てみると、ガンバ大阪が誕生した1992年初代監督の釜本邦茂氏から、2017年の監督を務める長谷川健太氏までで11人いるが、この中でブラジル人監督は1人だけだ。そのブラジル人監督ジョゼ・カルロス・セホーン氏は、2012年にリーグ戦わずか3節で解任となっている。
初代監督の釜本氏は、日本サッカーの父デットマール・クラマー氏(ドイツ)を師に持ちドイツに留学している。ガンバ大阪の前身である松下産業サッカー部の初代監督は水口洋次氏だが、彼もヨーロッパ研修を経験している。

ガンバ大阪の監督11人のうち最多は日本人監督(6人)だ。外国人監督としてはセホーン氏を除くと、ドイツ人のジークフリート・ヘルト氏、クロアチア人のヨジップ・クゼ氏、オーストリア人のフリードリッヒ・コンシリア氏、フランス人のフレデリック・アントネッティ氏となっている。
ブラジル人選手の活躍が目立ってきたガンバ大阪だが、監督を見てみると、ヨーロッパ人もしくはヨーロッパの影響を受けた監督が歴任してきたことがわかる。

ヨーロッパでは5番はディフェンダーの番号

ガンバ大阪の過去の歴代背番号を見ると、ヨーロッパサッカーの背番号に見られる番号付けになっている。

例えば、背番号「5番」。宮本恒靖氏や山口智氏などディフェンスリーダーが背負ってきた番号。 宮本氏や山口氏が背負う前は、ボバン・バブンスキー氏(マケドニア出身。現横浜F・マリノスのバブンスキー選手の父)や、クロード・ダンブリー氏が背負っていた。
この2人のポジションは共にリベロで、3バックの中央でプレーするディフェンスリーダーだった。
3バックというシステム自体もヨーロッパ発祥のものだ。「5番」をつけたリベロといえば、フランツ・ベッケンバウアー氏に代表されるようなヨーロッパ、それもイングランドではなく大陸で見られた形だ。

固定番号制が始まった1997年のバブンスキー氏から丹羽選手まで、「5番」は常にディフェンダーが背負ってきた番号だ。2017年シーズンは、「5番」を背負っていた丹羽大輝選手がシーズン途中でサンフレッチェ広島に移籍したため、後半戦は空き番号となっている。
ちなみにブラジルで「5番」は守備的ミッドフィルダーだ。「5番」のポジションを見るとヨーロッパサッカーの影響を受けていることがわかる。

ガンバ大阪の6番にはセンターバックや守備的ミッドフィルダーが多い

ガンバ大阪の背番号がヨーロッパ的であることは他の番号でもみることが出来る。
ヨーロッパでは背番号「6番」は、センターバックや守備的ミッドフィルダーの番号だ。
ガンバ大阪で「6番」を背負った選手を振り返ると、1997年から2017年まで10人の選手が背負ってきた。 この10人の中で最も長い期間「6番」を背負ったのは山口智氏の5年だ。これに続くのが稲本潤一選手の4年で、山口氏はセンターバック、稲本選手は守備的ミッドフィルダーだ。

その他にも初代「6番」となったのは森下仁志氏、福元洋平選手(現レノファ山口FC)、横谷繁選手(現大宮アルディージャ)、そして倉田秋選手(現10番)だ。ブラジルで「6番」は左サイドバックの番号だが、左サイドバックで「6番」だったのは下平匠選手(現横浜F・マリノス)1人しかいない。

遠藤保仁選手の7番もヨーロッパ的

他にも背番号がヨーロッパ的と言えるのは、遠藤保仁選手が背負う「7番」だろう。
「7番」を守備的ミッドフィルダーが背負うのは、フランスサッカーの文化でもある。 今や遠藤選手を象徴する番号となった「7番」だが、実は遠藤選手が希望したものではなくクラブから与えられた番号だった。

高校時代は「7番」をつけてプレーしていたが、プロ入り後、最初に横浜フリューゲルスで背負ったのは「27番」だった。その後移籍した京都サンガでは「14番」、ガンバ大阪に加入後も1年目は「19番」、2年目は「30番」だった。
そして3年目となる2003年に、その前年まで「7番」をつけていた元ブラジル代表のマルセリーニョ・カリオカ氏が退団したことを受けて、既に絶対的なレギュラーメンバーとなっていた遠藤選手に「7番」が与えられた。
この「7番」はブラジルではアタッカーの番号だ。なので藤選手の前任者であるマルセリーニョ・カリオカ氏は、自分のポジションの番号として「7番」を希望し、実際にガンバ大阪で背負っていた。
しかしガンバ大阪にはアタッカーの番号という歴史は無いため、守備的ミッドフィルダーの遠藤選手に与えられたのだ。遠藤選手自身、この番号にこだわりがないと公言している。

遠藤選手がつけることで今ではガンバ大阪を代表する番号となった「7番」や、かつて宮本氏がつけたディフェンスリーダーの番号となっている「5番」、そして稲本選手がつけた「6番」。ガンバ大阪でこの大切な番号3つとこれまでつけてきた選手を振り返ると、ガンバ大阪への影響が大きいのはブラジルではなく、ヨーロッパサッカーだということが見えてくる。