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柏レイソルの象徴となった背番号9番

2017 11/10 12:24Aki
サッカーボール
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突然訪れたチームの崩壊

2001年シーズン途中に西野氏が監督を退任し、2003年に北嶋氏も環境を変えるために清水エスパルスに移籍することになると、クラブは若手へと世代交代を進める。
ここからクラブは上位争いから遠ざかり、下位に沈むことが多くなる。しかし、それでもドイツのレバークーゼンでプレーしていた元ブラジル代表のフランサ氏を獲得するなど、注目をあつめていた。
フランサ氏は、レバークーゼンで浦和レッズへと移籍したロブソン・ポンテ氏や、後にマンチェスター・ユナイテッドでもプレーしたディミタール・ベルバトフ氏と共に「デンジャラス・トライアングル」と呼ばれていた中の1人だ。
2003-04シーズンのチャンピオンズリーグで、ジネディーヌ・ジダン氏やロベルト・カルロス氏、ラウール氏らを擁するレアル・マドリードに完勝したことで、世界的な注目を集めていた。

しかし2005年の入れ替え戦の結果、クラブ史上初のJ2降格が決定した。 このシーズンはフランサ氏をはじめ、かなり充実したメンバーが揃っていたにもかかわらず、チームが崩壊するような状態に陥ってしまった。
それを象徴するように、この2005年シーズン終了後、明神智和選手、玉田圭司選手、矢野貴章選手、永田充選手など多くの主力選手が退団。クラブはかなり厳しい状況に追い込まれていた。

電撃復帰し、9番を特別な番号とした北嶋秀朗氏

J2で戦う事になった2006年、かつてのエースだった北嶋氏が電撃的に柏レイソルに復帰を果たすこととなる。
2005年は怪我でほとんど試合に出場していなかったものの、既にJ1清水エスパルスでは中心選手としてプレーしていたにも関わらず、J2に降格した古巣に復帰をしたのである。
このシーズンは1年でJ1復帰を果たすこととなるが、その中心には以前と同じ背番号9番をつけた北嶋氏がいた。実際のプレーはもちろん、主力選手が多く抜け若手中心となっていた柏レイソルの精神的支柱としても効果を発揮したのだ。
その影響をうけた1人が、現在の柏レイソルで不動のキャプテンとしてチームを牽引している大谷秀和選手だ。大谷選手は2003年に下部組織からトップチームに昇格し、2006年はちょうど4年目のシーズンだったが、この年から先輩である明神選手の背番号7番を引き継いでおり、完全にチームのレギュラーとして定着した。

また、サポーターによる熱い応援で特別な雰囲気を作り出すスタジアムとして知られる、日立柏サッカー場の応援スタイルが出来上がったのもこのシーズンだ。
そしてその中心となったのも背番号9番の北嶋氏で、サポーターと対話することで現在のスタイルが完成したのである。 柏レイソルにとって背番号9番が特別な番号となったのはこの2006年だ。
清水エスパルスに移籍する前にも北嶋は9番を背負っていたし、さらに数々のエースストライカーも9番を背負ってきたが、このシーズンの北嶋氏の多岐に渡る活躍により、特別な番号へと進化したのだ。

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