J2オリジナル10の1つ、大宮アルディージャ
サッカーの街大宮をホームタウンとし、日本初・国内最古のサッカー専用スタジアム「NACK5スタジアム大宮」をホームスタジアムとする大宮アルディージャ。
電電関東サッカー部(NTT関東サッカー部)をルーツとしており、1999年にはじまったJ2のオリジナル10の1つであるこのクラブは、他のJリーグのクラブとは異なる特徴を持った興味深いクラブでもある。
そんな大宮アルディージャの特徴と歴史を、これまでの選手がつけた背番号から紐解いてみよう。
サッカーの街大宮をホームタウンとし、日本初・国内最古のサッカー専用スタジアム「NACK5スタジアム大宮」をホームスタジアムとする大宮アルディージャ。
電電関東サッカー部(NTT関東サッカー部)をルーツとしており、1999年にはじまったJ2のオリジナル10の1つであるこのクラブは、他のJリーグのクラブとは異なる特徴を持った興味深いクラブでもある。
そんな大宮アルディージャの特徴と歴史を、これまでの選手がつけた背番号から紐解いてみよう。
それぞれのチームによって特別な番号はあるものの、サッカーでは基本的にエースナンバーと呼ばれているのは10番である。特別な番号があるチームであってもペレやマラドーナが背負った10番は、そうそう気軽につけられる番号ではない。
ただこの10番をつける選手については、それぞれのチームによって、司令塔、もしくはエースストライカーと大きく2通りに別れている。
日本国内で一般的なのは前者であり、10番といえばテクニックやファンタジーを持つ中盤の司令塔がつける番号として定着している。
しかし、大宮アルディージャで10番をつけてきた選手をみると、中盤の選手は2016年に10番をつけた岩上祐三選手と、2014年、2015年につけた渡邉大剛選手の2人ぐらいであり、なおかつ2人とも司令塔というタイプの選手ではない。
渡邉大剛選手の前に日本人で10番をつけた黒崎久志氏を始め、クラブ最長となる2年半10番を背負ったラファエル選手など、大宮アルディージャの10番はストライカータイプの選手ばかりなのだ。
2017年の10番、大前元紀選手を始め、デニス・マルケス選手、エニウトン選手、マルティネス選手、トゥット選手、ダニエル選手、アンデルソン選手、ジョルジーニョ選手、マーク選手、エドウィン選手と彼ら全てが少なくともフォワードの選手である。
10番をストライカーがつけるのは、ブラジルやアルゼンチンではなく、オランダやイングランドなどのヨーロッパの文化である。大宮アルディージャはJリーグでは数少ないヨーロッパサッカーの影響を受けたクラブなのだ。
大宮アルディージャが持つこの傾向は、歴代の監督を見ても明らかである。
大宮アルディージャでは、これまで15人の監督が指揮をとってきたが(暫定監督は除く)、その中にはブラジル人やアルゼンチン人など南米出身の監督はいない。
15人中10人が日本人監督で、4人がオランダ人、後はスロベニア人と韓国人が1人ずつ、日本人と韓国人監督以外はヨーロッパ出身の監督しかいない。
これまで所属してきた外国人選手はブラジル人が最も多いため、ブラジル人と縁遠いクラブというわけではないのだが、監督0人というのはJ1での実績が豊富なクラブとしてはかなり異例と言えるだろう。
大宮アルディージャの番号で、他に気になるのが6番、8番をミッドフィールダーの選手がつけているということだ。
特に8番に関しては、10番がストライカータイプの選手がつけている事から、過去にも東慶悟選手や小林大悟選手など他のチームでは、10番をつけてプレーする様なプレーメーカータイプの攻撃的な選手が多くなっている。
2014年に8番をつけたのは、左サイドバックでプレーする下平匠選手であった事など、もちろん例外はあるが、ここまでプレーメーカータイプが多いのも他のクラブにはない大宮アルディージャの特徴だと言っても良いだろう。
しかし実はこの番号の付け方は、ある国でも見られる傾向となっている。
その国とはオランダだ。オランダでの8番は、1998年フランスワールドカップに、8番をつけてオランダ代表として出場したデニス・ベルカンプ選手のように、攻撃的なミッドフィールダーがつける事がある番号となっている。
歴代監督で日本人に次いで多いのが、オランダ人である事からもわかるように、大宮アルディージャは、オランダサッカーに大きな影響を受けている事がわかる。
J2に参加した大宮アルディージャの初代監督は、オランダ人のピム・ファーベーク氏だ。この後、ピム・ファーベーク氏の下でコーチとして経験を積んだ三浦俊也氏が引き継ぐこととなる。
ピム・ファーベーク氏が大宮アルディージャに持ち込んだのは、ボールを保持するポゼッションサッカーとゾーン・ディフェンスだった。
三浦氏によると、1999年当時はまだ日本には正しいポゼッションサッカーとゾーン・ディフェンスという概念は存在しておらず、チームに浸透するまでには至らない部分も多くあったそうだ。
しかしここで学んだ事をベースに、三浦氏が日本人に向けて落とし込む事でチームに戦い方を徹底した。三浦氏が2000年~2001年の2年間と、2004年~2006年までの3年間という、計5年にわたってチームの指揮をとったのは、ピム・ファーベーク氏から学んだ事が多いという。
J1に昇格後は、戦力の問題から守備的なサッカーが多くなったため、堅守速攻のイメージが強いだろうが、その根本にあるのは戦術的なオランダサッカーだった。
2014年は大きな補強も行い期待されたシーズンであったが、監督交代のタイミングを誤り、前任者を引っ張り過ぎてしまった事から低迷してしまった。渋谷洋樹氏が監督就任後盛り返すものの、クラブ史上初となる降格を経験する。
しかし、渋谷氏の下で作りあげた組織的なチームは1年でJ1復帰に成功し、2016年には渋谷監督の下でクラブ史上最高位となる5位でフィニッシュ。2017年は、さらに期待の集まるシーズンとなっていた。
しかし2017年は、開幕から6連敗となり第13節終了後に渋谷氏が解任。2017年9月現在は、伊藤彰監督の下でJ1残留に向けての戦いを行っており、チームは徐々に改善されていっているものの、まだまだ厳しい戦いが続くだろう。
大宮アルディージャの歴史を振り返ると、ベースとなっているのはオランダサッカーに代表されるような組織的な戦い方だ。これまで好成績を残してきた時も、個人で打開するチームではなく、攻守に組織的な戦いができるチームであった。
大宮アルディージャが残留する為に重要な事は、クラブの特徴である攻守に組織的な戦いができるチームを作り上げる事ができるかどうかだろう。