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サンフレッチェ広島の背番号から見るヨーロッパサッカーとの関係

2017 10/13 10:05Aki
サンフレッチェ広島
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イングランド人監督が率いたクラブ創世記

Jリーグ開幕に際してマツダサッカー部は、サンフレッチェ広島と名を変える事になる。サンフレッチェ広島の初代監督に就任したのは、イングランド人のスチュアート・バクスター氏だ。

サンフレッチェ広島監督就任前のバクスター氏は、スウェーデンのクラブでキャリアを重ねていたが、日本サッカー界では全く無名の存在だった。サンフレッチェ広島がバクスター氏を知ったのは、Jリーグ開幕を前にしてクラブが行った北欧遠征がきっかけだった。
バクスター氏率いるハルムスタッズBKと行った練習試合で、組織的なプレーを見せるチームのクオリティの高さを感じとったクラブは、バクスター氏の招聘を決めたのだ。

サンフレッチェ広島が10番をセンターフォワードの選手に与える様になったのは、このバクスター氏の影響が大きい。イングランドでも10番はエースナンバーなのだが、この番号を付けるのは司令塔ではなくセンターフォワードの選手であった事から、ごく自然にサンフレッチェ広島ではセンターフォワードが10番を付けるようになった。

バクスター氏率いるサンフレッチェ広島は規律を重んじる組織的なサッカーで、1994年の第1ステージ優勝を果たすこととなる。

ちなみにJリーグで初めてセンターハーフを2枚並べた(ダブルボランチ)4-4-2を採用したのは、バクスター監督率いるサンフレッチェ広島だと言われている。

ヨーロッパの理論を積み重ねたサッカークラブ

バクスター氏が去った1995年、サンフレッチェ広島は次にオランダ人監督であるビム・ヤンセン氏を招聘する。ヤンセン氏はリヌス・ミケルス氏率いるオランダ代表でヨハン・クライフ氏ラとともにトータルフットボールを実現させた人物である。
それまでイングランド式の4-4-2で戦っていたチームがオランダ式の3-4-3に変更した事で、戦術的に未成熟だった日本人選手がついていけず、実績としては天皇杯の決勝進出のみと少し寂しいものとなった。しかし、クラブとしてヨーロッパのサッカーを継続させた事は大きかった。

ヤンセン氏退任後は、やはりヨーロッパでの経験を持つスコットランド人のエディ・トムソン氏を招聘。その後はロシア人となるヴァレリー・ニポムニシ氏を招聘している。ヴァレリー氏退任後の2002年に招聘したガジ・ガジエフ氏だった。
徹底的というほどヨーロッパの流れを続けたサンフレッチェ広島は、Jリーグの他のチームには無い、ヨーロッパの理論に基づくサッカーを行うチームという特徴を持たせることになった。

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