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アルビレックス新潟の歴史と共に歩んだ背番号15番

2017 9/13 14:03Aki
サッカーボール
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アルビレックス新潟の中心選手へ

本間選手にとって大きな転機となったのは、守備的ミッドフィールダーへとコンバートされたことだろう。アルビレックス新潟が2004年にJ1へと昇格すると、翌年の2005年に本間選手は完全にレギュラーポジションを獲得する。とはいえ、チームの中心はエジミウソン選手やファビーニョ選手らのブラジル人選手。そしてチームの戦い方も彼らを活かしたカウンター戦術であったため、プレースタイルも派手ではない本間選手の全国的な知名度は、サッカーファンの間でもそれほど高くはなかった。
そんな本間選手の名前が広く知られるようになったのは、対戦相手の監督の多くがアルビレックス新潟の要注意人物として本間選手の名前を上げるようになった事からである。

特に当時鹿島アントラーズの監督を務めていたトニーニョ・セレーゾ氏は、ブラジル代表で守備的ミッドフィールダーを務めていた事もあって、同じポジションとなる本間選手のプレーを高く評価した。
前線の外国人選手が躍動できるのは、本間選手が中盤の守備的な位置で、攻守において効果的なプレーを見せているからで、カウンター戦術の起点となっているのは常に本間選手だと判断していたのだ。
その為、他のチームは前線の外国人選手対策に力を注ぐ中、鹿島アントラーズ対アルビレックス新潟の試合では、いかにして本間選手を止めるかを中心にゲームプランを作り上げていたほどだった。

アルビレックス新潟の成長と共にあった15番

存在感を高めていった本間選手は2007年からゲームキャプテンを務める事になる。またこの年に、アルビレックス新潟にとってレジェンド外国人の1人となっていくマルシオ・リシャルデス選手も加入すると、反町監督の後を継いだ鈴木淳監督が作り上げた攻撃的なチームは大躍進する。クラブ史上最高順位となる6位となるだけでなく、矢野貴章選手もクラブ初となる日本代表に選出された。
このチームの中心となっていたのは、中盤の守備的な位置で相手の攻撃を抑え、ゲームメイクも行う、キャプテンマークを巻いた背番号15番、本間選手だった。
その後、矢野選手やマルシオ・リシャルデス選手、現日本代表選手でもある酒井高徳選手、曺永哲選手など多くの選手が国内外のクラブに移籍するというクラブ事情もあって、時には残留争いに巻き込まれるなど安定した成績を残せていなかった。そのような中でもクラブがJ1に残留できていたのは、本間選手のプレーによる部分も大きかったはずである。
日本代表に選出されるわけでもなく、Jリーグベストイレブンに選ばれる事もなかったが、いつしか本間選手は「ミスター・アルビレックス」と呼ばれるようになり、ホームスタジアムであるビッグスワンスタジアムには本間選手の顔が描かれた大きなフラッグが掲げられる事に。そして本間選手が背負う15番はクラブで最も重要な背番号となった。

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