鹿島アントラーズのディフェンスリーダーが背負う背番号3 | SPAIA

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鹿島アントラーズのディフェンスリーダーが背負う背番号3


背番号と共に受け継がれていく伝統

プロ野球の世界では、偉大な選手の功績や栄光を後世に伝える為に使用されている永久欠番。サッカー界でも近年は、横浜F・マリノスが故松田直樹氏が在籍時に使用していた背番号3番や、イタリアACミランでは往年の名選手パオロ・マルディーニ氏とフランコ・バーレジ氏が背負った背番号3番と6番を永久欠番とするなど徐々に増えてきてはいるものの、競技の長い歴史から考えるとかなり少ない。
これは、元々サッカーが変動番号制をとっていたからである。サッカーでは、ワールドカップなど一部の大会を除き、先発メンバーが1番から11番。そしてベンチメンバー12番から順につけるという形になっていた。固定番号制を取るようになったのは世界的にも1990年代に入ってからの事だ。(Jリーグでは1997年から固定番号制を導入)
こういった歴史から、サッカーでは永久欠番という形以外で、偉大な選手の功績を後世に残す方法が広がっていった。
その形とは背番号を継承する事。マンチェスターユナイテッドの7番のように、エースナンバーとして次の世代へ受け渡す事で、歴代の偉大な選手の功績を伝えているのだ。
鹿島アントラーズにも受け継がれている番号がいくつかあるが、今回はその中でも背番号3番に注目してみよう。

背番号はポジションを表す

サッカーでは1990年代まで先発メンバーが1番から11番を背負う変動番号制が世界的にも主流だった。サッカーが世界的に広がりを見せた1900年前後からおよそ100年の間は、変動番号制で行われていたのだ。
この変動番号制をわかりやすく例えると、高校野球の背番号の様な形だ。高校野球では背番号1はピッチャー、背番号2がキャッチャーで、それぞれ背番号9までポジションが決まっており、この背番号はポジションを表す番号にもなっている。6-4-3のダブルプレーはショートストップからセカンド、ファーストに渡ったダブルプレーだと野球ファンならだれでもわかる。
1990年代以前のサッカーもそれと同じような形で、背番号はポジションを表す形となっていた。 鹿島アントラーズで受け継がれている背番号3は、ブラジルではセンターバックのポジションを指す番号である。
ジーコ氏によりブラジルサッカーのスピリットを受け付けられた鹿島アントラーズにとって、背番号3番を背負う選手はチームを支えるディフェンスリーダーが背負う番号となっているのだ。

初代3番、秋田豊氏

Jリーグで固定番号制が始まった1997年、鹿島アントラーズの3番として登録されたのは秋田豊氏だった。 秋田氏といえば、ワールドカップのメンバーにも2度選出されており、ハードなマークと高い打点のヘディングでJリーグ創世記を支えた日本を代表するほどの名センターバック選手だ。
そんな秋田氏はJリーグ開幕となる1993年に愛知学院大学から鹿島アントラーズに加入すると、初年度のJリーグ開幕戦から先発メンバー入りしポジションを掴んでいた。
しかし当時はJリーグが変動番号制だった事もあり、背番号は2。元々秋田氏はセンターバックの選手であったが、ジーコ氏により右サイドバックへのコンバートされ、試合に出場していた。
ブラジルにとって背番号2といえば右サイドバックのポジションの事。その後元ブラジル代表のジョルジーニョ氏や名良橋晃氏、内田篤人選手といった右サイドバックの選手が引き継いでいる。
秋田氏が3番を背負うようになったのは1995年から。この時もまだJリーグは変動番号制だったが、元ブラジル代表の右サイドバックだったジョルジーニョ氏が加入し、秋田氏は本職のセンターバックへ移動。鹿島アントラーズのディフェンスリーダーとして9つのタイトル獲得に貢献している。
ちなみに秋田氏は2004年に名古屋グランパスへ移籍したが、ここでの背番号も2番。
これは名古屋グランパスが鹿島アントラーズとは異なる文化をもっていたからで、名古屋グランパスでは右サイドバックが4番、センターバックは2番を付けてきたからだった。

受け継がれていくディフェンスリーダー

秋田氏の後に3番を引き継いだのは、金古聖司氏だった。
金古氏は東福岡高校で高校選手権2連覇を達成し、鹿島アントラーズに加入後は将来の日本を引っ張っていくと期待されたセンターバックだった。しかしプロ入り直前の、ワールドユースに向けた合宿中に大怪我を負い離脱。その後も怪我に悩まされ続け、鹿島アントラーズではポジションを獲得出来ずにいた。
2004年に秋田氏が名古屋グランパスに移籍したことで、背番号3番を引きつぐ事を決断する。金古氏にとっても最後の勝負だという覚悟だった。
この2004年のシーズン序盤、金古氏はレギュラーポジションを確保し活躍するが、シーズン後半には徐々に出場機会を減らしていく。そうなったのは、この年に加入した岩政大樹選手が台頭してきたからだった。 金古氏からポジションを奪い取った岩政選手は、プロ3年目から2006年から背番号3番を継承。岩政選手は、強さと高さに加え抜群のリーダーシップを持つ、ディフェンスリーダーとなっていった。

現在の背番号3を付けたディフェンスリーダー、昌子源選手

岩政選手退団後の2014年は、ふさわしい選手がいないという事で、鹿島アントラーズには3番の選手が存在しなかった。しかし同年、鹿島アントラーズにあらたなディフェンスリーダーが誕生する。それがプロ入り4年目となる昌子源選手だ。
2014年の昌子選手は、自身初の開幕先発入りを果たすと、そのままレギュラーポジションを獲得。21歳ながらもブラジルワールドカップ直前の2014年3月に行われた国内組のみの合宿メンバーにも選ばれ、9月には日本代表入りを果たした。リーグ戦で全試合先発出場を達成し、ディフェンスリーダーへと成長していったのだ。
そんな昌子選手が2015年に満を持して、鹿島アントラーズのディフェンスリーダーが背負う番号3番を継承する事となる。
その後の昌子選手の活躍はご存知の通り。今や日本代表でもポジションを確保しようかという状態だ。

永久欠番という形はもちろん素晴らしい。しかし、この鹿島アントラーズの背番号3の様に、背番号を継承することで伝統を継承し、それが選手の成長にもつながるという形も素晴らしいものだ。

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