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ベガルタ仙台の歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
芝生の上にサッカーボール
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Photo by moomsabuy/Shutterstock.com

ベガルタ仙台のクラブ史を戦績とともに学びたい人向けに本記事では、ベガルタ仙台の監督が残したものについて紹介する。

ベガルタ仙台J1への昇格と、降格

東北電力サッカー部を前身とするベガルタ仙台は、1999年にJリーグへ参入した仙台市をホームとするサッカーチームで、当初はべランメル仙台として活躍していた。99年J2へ参加するも、10連敗し、監督であった鈴木武一氏は退任、京都パープルサンガの監督だった清水秀彦氏が就任した。
この後、2003年まで清水体制は続き、「あなたとJ1」をチームスローガンにJ1を目指すチームが作られていく。99年は9位、2000年は5位と続き、01年にFWのマルコス、MFの岩本輝雄を獲得し、ついにJ2リーグ2位となりJ1昇格を決めた。
2002年は開幕5連勝を飾るなど好調で、加入したFW山下芳輝がJ1得点ランキン2位となり日本代表候補に選出されるなどいいニュースがあった。だが、シーズン後半は失速、年間で13位まで落ちこむことに。
03年も出だしは好調だが、負けが込み、清水監督は9月で解任、名古屋グランパスで監督をしていたスロベニアのズデンコ・ベルデニック氏が就任したが、19試合連続未勝利を喫し、15位に。ついにJ2降格となってしまう。

ベガルタ仙台ブラジルから救いの手

J1復帰を目指し若手の起用によって盛り返すも、6位という結果になり、ベルデニック監督は解任された。05年より元日本代表の都並敏史氏が就任するも、入れ替え戦出場を逃し、GM、監督が退任、主力選手ら7名が退団し、ベガルタ仙台は窮地に陥る。
そこで、2006年からブラジルのジョエル・サンタナが監督に就任し、3名のブラジル人を加入させる。そこで4バック、3ボランチの戦術をとり、8名の日本人で守備をし、3人のブラジル人でカウンターをかけるとこれが当たり、シーズン前半を3位で折り返した。だが。後半ケガで悩まされ5位まで落ち込むことに。また、監督は退任、ブラジル人2名も退団、1名は残ることになった。
続く07年はヘッドコーチだった望月達也が監督に昇格。補強につとめた。シーズン途中で攻撃中心から守備の安定を図る方向へ舵をきると、これが功を奏し、最終順位は4位に。入れ替え戦はのがし、J1は遠い花火になりつつあった。

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