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名古屋グランパスの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
ストイコビッチ(左)とベンゲルⒸゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

世界的名将 ベンゲル

アーセナルで長年監督を務めるなど世界的にも有名なベンゲルが、1995年に名古屋グランパスの監督だったということは本当にすごいことだ。世界的に有名な監督をチームに迎えたことは、選手の精神面にも大きく影響しただろう。

選手の短所を補うのではなく、長所を活かすことがベンゲルの方針。主に個々の長所が活きる戦術やチームワークを築くことに取り組んだ。

これまで、ストイコビッチや小倉隆史といった名プレーヤーがいながら最下位に沈んでいたチームを見事立て直し、天皇杯優勝に導いたのはベンゲルと言っても過言ではない。ゼネラルマネージャーとして奔走し、勝つためのチームを作り上げたベンゲルが残した功績は今後も受け継がれていくだろう。

守備の意識を植え付けたベルデニック

降格候補の筆頭と言われていたジェフユナイテッド市原を2001年に2位にした実績を買い、2002年に監督として引き抜いたのがベルデニックだった。

ベルデニックがグランパスに残したものは「守備の意識と約束事」だ。それまで、どちらかといえば攻撃的なサッカーを好んでいたグランパスに、しっかりとした守備意識を根付かせた。かといって攻撃を疎かにするわけではなく、少ないタッチでゴールに迫るプレースタイルはサポーターを興奮させた。

監督として残したい選手を残さなかったフロントとの溝が深まり退団となったとされている。

選手でも監督でも大人気だったストイコビッチ

選手時代から「ピクシー」の愛称で親しまれ、大人気だったストイコビッチが監督に就任したのは2008年。チーム史上初となるJリーグ優勝やアジアチャンピオンズリーグでベスト4など、任期中に一際輝かしい成績を収めた監督といえる。

ストイコビッチの選手の起用方針は「スタメンを固定する」だ。そのため、比較的不動のメンバーで試合に臨み連携を強めた。特に2010年はサイドを活用したスピーディーな攻撃で勝利を奪い続け、最多勝点、最速優勝の記録をつくった。かつてのスター選手が監督として再びチーム戻り、優勝まで導いたのだ。

規律を重んじたジョアン・カルロス

チームと世間に驚きを与えた監督といえば、ジョアン・カルロスだろう。

2000年にチームの主力メンバーであり日本代表級ともいえる3選手を「戦力外」とし、チームから外すといった発表があった。原因は3選手と監督との衝突とされているが、その直後の試合で大敗したため、責任を感じたカルロスは辞任を申し出た。ところが、フロントは選手ではなくカルロスを選んだのだ。3選手の戦力外通告はもちろんだが、監督を慰留したことに驚かされる出来事だった。

これに対して選手やサポーターから反発があったのはもちろんだが、フロントが考えを変えることはなかった。規律を重んじ厳しい指導により実績を作ってきたカルロスの手腕がこの時のチームには必要だと判断した結果だったのかもしれない。

かわいそうな面もあった西野明

日本人の名将の一人、西野朗がグランパスの監督を務めたのは2014~15年だ。しかし、任期中に目を見張るほどの成績を残すことはできなかった。

前監督のストイコビッチの方針が「主要メンバーはほぼ固定」だったこともあり、若手が育っていなかった。その状態のまま監督を引き継いだ西野のレベルに、選手がついていけなかったと思われる。監督として選手に求めるべきことを伝え、それにこたえてもらう前にケガ人が出るなどの問題が起こり、なんとかやりくりするしかなかい状況に陥ったのだろう。

しかし、西野が育てた一人ともいえる田口は今シーズンのキャプテンである。任期中に播いた種がようやく芽吹いたと言ってもいいかもしれない。