日本代表監督としても有名:ハンス・オフト
日本代表をワールドカップ出場まで後一歩のところまで押し上げた監督として、ハンス・オフトがいる。そのハンス・オフトは、1994年にジュビロ磐田の監督に就任する。
実は、代表監督就任前よりジュビロとは関係のある監督だった。Jリーグ昇格直後とあってチームは苦戦するが、チーム力の底上げに尽力する。就任中にはタイトル獲得には至らなかったが、その後のチームの黄金期の基礎を作ったのは間違いなくハンス・オフトだ。2013年には日本サッカー殿堂入りするなど、国内で高く評価されている監督だ。
あの名監督も指揮していた:ルイス・フェリペ・スコラーリ
1997年に監督に就任したのがルイス・フェリペ・スコラーリだ。当時、ブラジルの新進気鋭の監督の一人として注目されていた。
わずか4ヶ月で退任するが、その指導スタイルには大変高いインパクトがあった。オフサイドトラップを全く採用しないなど斬新さも兼ね備えてた、過去のJリーグ監督の中でもトップクラスの実績を残している監督でもある。
チームの黄金期を支えた:鈴木政一
ジュビロ磐田の黄金期を支えた監督として鈴木政一がいる。監督としての能力の前に、スカウティング能力に長けていることが特徴として挙げられる。
黄金期の中心選手である名波浩、藤田俊哉、福西崇史、服部年宏をスカウトしたのも鈴木だ。このような個性的な選手の能力を最大限に活かし、強いだけでなく魅力的なサッカーを展開。2002年にはシーズン完全制覇を達成してチームは最高潮を迎える。今でも名将の呼び声が高い監督である。
オリンピック代表監督から転身:山本昌邦
アテネオリンピック代表監督としての実績を引っさげて、2004年に監督に就任したのが山本昌邦だった。人間力をテーマとし、手堅いサッカーで実績を積んできた監督だ。
だが、残念ながらジュビロ磐田ではその能力を発揮したとは言いがたい成績となる。ちょうど、黄金期を終えてチームの変革期に入っていることもあり、新陳代謝も期待されての起用だったが、その期待に応えることができなかった。能力がある監督でも、難しいミッションであったといわざるを得ない。
まとめ
黄金期から早くも十年以上経過しているが、J2落ちも経験して苦しい戦いが続いている。ただ、チームの生え抜きである名波浩が監督に就任して以降、少しずつだがかつての姿が見えてきている。この後、どのようなチームに変貌するかが楽しみだ。