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大宮アルディージャの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
サッカーボール
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Photo by Sandra van der Steen/Shutterstock.com

大宮アルディージャのクラブ史を戦績とともに学びたい人向けに本記事では、大宮アルディージャの歴代監督が残したものについて紹介する。

J1昇格を決めた三浦俊也監督

大宮アルディージャの前進は、1969年に旧浦和市で結成の「電電関東サッカー部」。1987年から1992年までの期間、日本サッカーリーグ2部に在籍をしていた。その後、1998年、旧大宮市をホームタウンとした今の「大宮アルディージャ」へと名称を変更する。
三浦俊也監督は、1999年からコーチに就任をし、当時のオランダ人監督、ピム・ファーベークの下、オランダスタイルのポゼッションサッカーを学ぶ。その後、2000年に監督へと就任をした。
その年は、シーズン4位とまずまずの成績を残す。翌年には上位チームへの雪辱を晴らすべく、「指導者になってから最高の陣容」と語るメンバーで、第2クールでの全勝を果たした。しかし、第3クールに主力メンバーが当シーズンの活躍が絶望的な大ケガを負い、最終順位は5位という結果になり、J1への昇格には至らずに、シーズン終了後監督を退任した。
その2年後、三浦俊也監督は再び監督に就任する。その年の前半戦終了時の結果は、J1への自動昇格圏内である2位を確保する。そして、後半戦も好調に勝利を積み重ねて、第42節の水戸戦で勝利を納め、念願のJ1昇格を決めた。

ハードなサッカーを提唱した菅野将晃監督

現役時代は、古河電工、ジェフユナイテッド、京都パープルサンガで選手として活躍していた菅野将晃監督は、1995年からは京都パープルサンガ、ユースチームのコーチを務め、2001年には水戸ホーリーホックの監督として就任している。
その後、菅野将晃監督は2003年に、大宮アルディージャの監督としてチームに迎え入れられる。攻守共に運動量の多いハードなサッカー戦術を提案して、ディフェンスの前線からチーム全体で積極的にプレスをかけて試合の主導権を握る戦術を多用していた。
その後華やかな結果を残すことはできずに大宮アルディージャを去り、いくつかのチームの監督として活躍をした。前任の監督からのバトンは確実に後の世代に受け継がれたことだろう。

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