Jリーグ初代優勝チームに導いた!宮本征勝
1993年のJリーグファースステージで、ジーコやアルシンドを配して魅力的なサッカーを展開していた。そのチームをまとめ上げたのは、言うまでもなく監督の宮本征勝だ。元々、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得したメンバーとあって、選手としての実績は十分だった。その実績をしっかりと監督としても活かして、スター選手もしっかりとまとめ上げたのは流石の一言だ。
その後、何と20年近くも鹿島アントラーズでは日本人監督が生まれなかった。人を育てるという重要なミッションもしっかりとこなした、レジェンドであるといえる。
常勝チームを作り上げた!ジョアン・カルロス
鹿島アントラーズといえば、数多くのタイトルを獲得してきたチームだが、その流れを強く印象漬けたのがジョアン・カルロス政権だ。1996年にJリーグ優勝に導く手腕を発揮しただけでなく、1997年にはゼロックススーパーカップ、Jリーグ、ナビスコカップ、天皇杯の主要タイトル4冠を達成するという偉業を達成する。曖昧さの無い的確な起用は、見ているファンからも思わず拍手が起こるほどだった。ただ、一方で特にブラジル人選手との確執が目立つ監督だった。
アントラーズ時代も、ジョルジーニョとの確執が原因で、1998年のシーズン途中に辞任している。もう少し人心把握ができていれば、もっとすごい監督になっていたのかもしれない。ただ、この厳しい姿勢がこの監督の特徴でもあるのだ。
監督としても超一流!トニーニョ・セレーゾ
ジーコとともにブラジル代表の中盤を支え、黄金のカルテットの一員でもあるトニーニョ・セレーゾが監督に就任したのは2000年のことだ。前任のジーコからの悪い流れを断ちきれず、最初は厳しい戦いが続いたが、徐々にアントラーズらしいサッカーを展開してタイトルを獲得していく。6シーズンもの間、アントラーズを指揮し続けたが、意外にもJリーグ優勝は最初の二年だけだった。ただ、それ以上にインパクトの強い監督だった。
監督業だけでなく、練習においては背番号42番を付けて練習に参加することもしばしばだった。自分が持てる技術を余すところ無くアントラーズに注入してきたのだ。
指揮したシーズン全てでタイトル獲得!オズワルド・オリヴェイラ
ブラジル人らしからぬ、どこか知性が合って上品な監督という印象が強いのがオズワルド・オリヴェイラだ。選手としてのキャリアはなく、監督としてのキャリアも何と49歳からと超遅咲きの監督だった。ただ、アントラーズではJリーグ3連覇を達成するなど、抜群な起用術で多くのタイトルをもたらした。若手選手を育てるのが得意な監督でもあり、内田篤人を一流選手に育てたのは言うまでもない。
一見クールに見えて、実は熱血漢な面があり、そのギャップにも驚かされた。技術を押し出すサッカーをしていたアントラーズに、体力勝負のサッカーを注入したことは高く評価されている。
まとめ
ここ数年は監督がコロコロ代わり、少しアントラーズらしさが失われている印象がある。
ただ、生え抜きの石井正忠が監督に就任して、かつての流れが復活しつつある。今後のアントラーズに目が離せない。