チームを初のJ1昇格へ導いた監督・松本育夫
1999年、シーズンの途中で更迭されたベット監督に代わり招聘されたのが、松本育夫監督だった。
彼の座右の銘は、“全力に悔いなし”。その言葉通りの熱血指導を展開し、前年惜しくもJ1参入決定戦で敗れ、シーズンも調子を取り戻し切れないまま低迷していたチームの状態を、見事に立て直した。
その年、チームはJ2優勝を決め、J1昇格を果たす。翌年は監督としてではなく、社長という立場でチームと関わることとなったが、チームの成績は振るわず、最下位。松本氏は社長を辞任することとなった。
フィジテク×プレッシングで強い川崎の礎を築いた監督・石崎信弘
J2に降格し、低迷していた川崎を再び引き上げるべく、2001年に監督に就任したのが、石崎信弘監督だ。
彼は、フィジカルとテクニックの基礎的メニューを交ぜた「フィジテク」と呼ばれる練習法で厳しく指導し、選手個人の能力に磨きをかけた。
戦術では、中盤に強烈にプレッシャーをかける“プレッシング”を得意とし、就任した年の天皇杯では準決勝までコマを進め、翌年にはリーグ戦4位、2003年には勝ち点差1で惜しくも昇格を逃す3位という成績を残す。昇格には至らないまでも、チームを上昇気流に乗せた監督だと言えるだろう。
独自の戦術と徹底したポリシーを持つ監督・関塚隆
石崎氏がチームを去った翌年の2004年に川崎フロンターレの監督に就任したのが、関塚隆監督だ。彼は、石崎前監督が行っていたプレッシングサッカーに更にカウンターの要素を乗せた戦術スタイルで、チームを率いた。
また、選手の意識改革にも彼は大きな影響を残す。シーズン序盤、監督に取材をする際にライターが“所属選手から戦術に関する情報を聞いた”と伝えたところ、彼は激怒。“そんなことを喋るようじゃ常勝チームにはなれない”と言い放ち、それ以降選手達が言動に配慮するようになったというエピソードが印象的だ。
関塚監督が就任した年、チームは、2位との差18、勝ち点105、得失点差+66という成績でJ2優勝。翌年も終盤まで上位争いに絡み、シーズンには年間2位と、常に上位を争える強力な戦力を持つチームに成長した。
“風間サッカー”で現チームを率いる監督・風間八宏
2012年から2016年の今シーズンまで川崎フロンターレを率いてきたのが、風間八宏監督だ。風間監督率いる川崎フロンターレの特徴は、試合によって異なるフォーメーション。相手の戦力分析よりもまず、選手の調子を優先して起用を行うスタイルで、ボールを易々と保持し、密集地帯をスイスイとかい潜る“風間サッカー”とでも呼ぶべきプレイを持ち味とするチームに川崎を育てた。
シーズンのチーム目標を“ボールを自分たちで自信をもって持つサッカーを目指す”と定め、そのための監督自身の 抱負を“選手が伸び伸びとプレイができるよう努力していきたい”と定めた風間監督の元で、チームがどんなプレイを見せてくれるのか、期待が高まる。
まとめ
歴代の個性豊かな優れた監督たちによって、川崎フロンターレはJ1に常駐する強さを持つチームに育てられた。技術やチームとしての能力はもちろん、歴代監督たちの残したマインドも、チームには深く根付いているに違いない。