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モンテディオ山形の10番を背負ってきた名選手5人

2016 8/13 15:01
NDソフトスタジアム山形
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チームを知る上で欠かす事のできないサッカーにおけるエースナンバー、背番号10。
背負ってきた選手達を知れば、もっとモンテディオ山形の事が分かるはず。
そこで、モンテディオ山形の背番号10番を担ってきた名選手達を紹介する。

左足キッカー佐藤悠介選手(2001年?2002年)

攻撃的MFやボランチでも活躍し左足の精度の高いパスやシュートが的確で左足のフリーキックはワールドクラスと言われた。高校卒業後に名古屋とプロ契約しその後も転々と移籍をするが、2001年に山形へ移籍後はその当時監督である柱谷幸一監督に自身の素質を評価され主力に起用されると、持ち前のキック力で活躍してチームも大躍進していき、J1昇格圏内の2位を仙台、大分と争う所までいったが、2001年の最終戦で惜しくも敗れJ1昇格を逃がした。
その後も他のチームに転々と移籍するが、2008年に山形時代の恩師である柱谷監督が在籍する栃木SCに移籍後は、再びチームの要としてキャプテンを任され活躍した。その後2010年には15年に渡るサッカー生活の現役を引退した。

ポスト中村俊輔と呼ばれた本橋卓巳(2005 年?2008年)

愛称は「モッツ」で左足からのパスを得意としている。市立船橋高校出身で99年に高校サッカー選手権で優勝し、その後横浜Fマリノスでプロデビューし、MFのボランチ「ポスト中村俊輔」として注目されていた。
あまり動くタイプではないが高度なテクニックに優れたレフティで判断能力が高く、高いパスセンスでプレーに切れがある個性的で存在感のある選手だった。しかしマリノスではなかなか出場機会に恵まれず、2005年に山形に移籍した。山形ではキャプテンとして活躍してくれた。2009年に栃木SCに移籍し、2013年に13年のプロサッカーとしての現役生活を引退した。2014年からは栃木SCでトップチームコーチに就任している。

中田選手も認めた悲運の天才MF財前宣之(2005年?2009年)

財前選手は天才的なパスセンスのMFで、1993年のU17世界大会では元日本代表のMF中田英寿と一緒にプレーし、当時は中田にその類まれなる才能を認められていた。1995年からは川崎に入団し1996年途中からはスペインのログロ二ュス、1998年の川崎退団後はクロアチアのNKリエカでプレーをして、まだ海外でプレーする日本選手が限られていた時に海外組のパイオニアと呼ばれていた。
しかしスペイン時代に負った靭帯断裂の大けががひびき、リエカ退団後に帰国してからもけがに苦しみ、仙台、山形と移籍したが全盛期の勢いが戻らず、2009年に退団するもその後は海外に拠点を置き現役生活を続けた。そして惜しまれつつ2012年に現役を引退した。

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