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ベガルタ仙台の10番を背負ってきた名選手3人

2016 8/13 15:01
ユアテックスタジアム仙台
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ベガルタ仙台が好きな方、そしてサッカー観戦が好きな方へ。
チームの歩んできた軌跡を把握してからサッカー観戦すると、今まで以上に応援にも熱が入る。
そこで今回は、ベガルタ仙台の10番を背負って活躍した名選手を3人紹介する。

堅実なプレーでチームをけん引する梁勇基選手

2006年から10年もの間、ベガルタ仙台の10番を背負い続ける梁勇基選手。
現在でこそベガルタの中心選手として引っ張っているが、外国籍枠の制限が理由で高校卒業時にJリーグ入りを断念したり、準外国籍選手として内定が見込まれていたジェフユナイテッド市原との契約が破談になったり、これまでに様々な苦労を経験している。
そんな時に出会ったのがベガルタ仙台。入団翌年にはレギュラーを獲得し、それ以降の5年間はリーグ戦の全試合に出場するなど、ベガルタにはなくてはならない存在にまで成長した。なお、ベガルタ仙台に在籍してからこれまでに、全490試合に出場し78得点を挙げている。北朝鮮代表にもたびたび選ばれており、東アジア選手権などで何度か日本代表とも対戦した経歴がある。

3度の靭帯断裂に泣かされた天才・財前宣之選手

かの中田英寿氏も才能を認めたと言われている財前宣之選手。
少年時代から数々の功績を残しており、中でも1997年に行われたアンダー17世界選手権に出場した際は、出場したリーグ戦3試合全てでマンオブザマッチに選ばれた経歴を誇る。ベガルタ仙台に所属する以前は、ヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルデ1969)に所属していた。そして、ヴェルディ入団直後はイタリアはセリエAの名門クラブ・ラッツィオにサッカー留学をするなど、サッカーに対する貪欲な姿勢が特徴的だ。
しかし、靭帯断裂を含む数々のケガに苦しみ、2005年シーズン終了後にベガルタから戦力外通告を受けている。その後はモンテディオ山形やタイのプレミアリーグへ活躍の場を移し、2011年に引退を発表している。

引退後も精力的に活動・中島浩司選手

ベガルタ仙台の前身ブランメル仙台で10番を着用して活躍した中島浩司選手。
しかし、彼の活躍もそう長くは続かず、1998年と1999年のシーズンをもって10番を財前選手に受け継ぐことになった。その後は8番を背負ってプレーするも、2002年のシーズン終了後にベガルタ仙台から戦力外通告をされている。
< その後はジェフユナイテッド市原、そしてサンフレッチェ広島と渡り歩き、2013年に惜しまれつつも引退している。現在は広島でイベントの企画や立案を行う株式会社ベアフットの代表取締役を務めるとともに、サッカーの解説や各種メディア出演など多岐に渡る活躍を見せている。

まとめ

Jリーグの準会員となった1995年以降、山あり谷ありで現在に至るベガルタ仙台。そんな中、このような選手達が活躍していたみたい。2016年のシーズンは調子がいいとは言い切れないが、梁勇基選手を中心に挽回してもらいたい。