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横浜F・マリノスの10番を背負ってきた名選手5人

2016 8/13 15:01
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マリノスの背番号10は木村和司から始まった

まだ背番号が固定ではない時代だったが、マリノスで最初の背番号10といえば木村和司だろう。日本サッカー界を背負ってきた選手の一人で、ヴェルディ川崎の10番、ラモス瑠偉とは良きライバル関係にあった。

フリーキックの名手で、日本代表としてもたくさんのスーパーゴールを生み出したゲームメーカー。小柄ながらも存在感は大きく、憧れる選手たちも多い。一人称が「ワシ」ということでも有名だった。

THEマリノスの天才10番 中村俊輔

横浜マリノス時代を含め、横浜F・マリノスの10番といえば中村俊輔だろう。海外移籍でチームを離れていた時期もあったが、若い頃からマリノスの10番としてプレーしていたため、チームの顔とも言える。

また、日本代表でも10番だったことから、多くのサッカーファンの間では「背番号10番といえば、中村」と言われるほど定着しており、プレーからファンタジスタと称されることも多い。まさに日本サッカーが生んだ天才だ。

背番号10番歴は6シーズン 山瀬功治

コンサドーレ札幌から浦和レッズへ渡り、横浜F・マリノスに移籍加入した山瀬功治は、なんと6シーズンもの間10番を背負った。中学生の頃にブラジルでテクニックを身に付けただけあり、独特のドリブルと飛び出しが得意で日本代表にも選出された。

札幌時代にも浦和時代にも大きな怪我をしたにもかかわらず、衰えを感じさせるどころかむしろ、現役最高のプレーを見せていた。その頃、札幌時代の恩師であり監督だった岡田武史が、今度は横浜F・マリノスの監督として働きかけ、山瀬の移籍が実現した。

中村俊輔の後継者 小野裕二

2シーズンだけの10番だったが、中村の後継者とも呼ばれるほど似通ったインパクトがあった小野裕二。横浜F・マリノスのアカデミー出身で、若い頃からバツグンのセンスを発揮し中心になってチームを動かす選手だった。

山瀬の後に10番を引き継いだこともあり注目されたが、現在は海外でプレーしている。

番外編:ミスターマリノス松田直樹

2011年8月に急性心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった松田直樹。亡くなる前年に長年過ごした横浜F・マリノスから戦力外通告を受け、その後所属した松本山雅での練習中でのことだった。この突然の出来事に多くのサッカー関係者やファンが涙した。

高卒ルーキー時代から試合に出場していた “ミスターマリノス”こと松田の背番号は3番だ。だが実は、松田が入団間もない背番号が固定制ではなかった頃、ディフェンダーの選手では珍しく10番を背負ったことがあったのだ。