マリノスの歴史はココから始まった 木村和司
Jリーグが始まった時、背番号10を付けていたのは木村和司選手だった。小さな身体ながら存在感は大きく、日本サッカー界を背負ってきた選手だった。
フリーキックの名手でもあり、日本代表としてもたくさんのスーパーゴールを生んできたゲームメーカー。憧れる選手たちも多く、「ワシ」と自分のことを呼ぶことでも有名だった。
当時はまだ背番号が固定ではなかったのだが、マリノスの背番号10といえば木村和司という時代だった。
ヴェルディ川崎の10番ラモス瑠偉選手とは、良きライバル関係にあった。
天才現る!THEマリノスの10番 中村俊輔
横浜マリノス時代を含めて、横浜F・マリノスの10番といえばこの人、中村俊輔選手だ。
一度海外移籍でチームを離れていた時期もあったが、若き頃から横浜Fマリノスの背番号10を背負いチームの顔である選手だ。
日本代表の背番号10も背負い、多くのサッカーファンの中では背番号10番といえば中村俊輔というほどに「10」が似合う選手だ。
ファンタジスタと称されることも多く、日本サッカーが生んだ天才とも言われている。
6シーズンもの間背番号10番を背負った 山瀬功治
コンサドーレ札幌、浦和レッズと渡り、横浜F・マリノスへと移籍加入し、背番号10を背負った。
札幌時代の恩師であった岡田武史監督が、横浜F・マリノスの監督として獲得したい選手として動き、移籍が実現した。
札幌そして浦和と大きな怪我を経験したが、それによる衰えを感じさせず、むしろ現役最高のプレーを魅せていた頃だと思う。
中学生の頃ブラジルに留学しテクニックを身に付けただけあり、独特のドリブルと飛び出しが得意で、日本代表にも選出された。
中村俊輔の後継者と呼ばれた 小野裕二
横浜F・マリノスのアカデミー出身であり、中村俊輔の後継者と呼ばれた小野裕二選手。若き頃からバツグンのセンスを発揮し、チームの真ん中でチームを動かす選手だった。
現在は海外でプレーしており、2シーズンだけの背番号10だったが、若くして背番号10を付けるインパクトは中村俊輔選手と似たものがあった。
長く10番を背負ってきた山瀬選手の後に背番号10を引き継いだこともあり、どんな背番号10番の色となるかと注目されていたが、海外挑戦となってしまった。
番外編 ミスターマリノス故・松田直樹
2011年8月。突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまい、多くのサッカー関係者やサッカーファンたちが涙した松田直樹選手の最期。
ミスターマリノスと言われた松田選手は、亡くなる前年に長年過ごした横浜F・マリノスで戦力外通告を受け、松本山雅でサッカーを続ける道を選択した。
松田直樹選手がまだ入団したての頃、高卒ルーキー時代から試合へ出場していたが、当時まだ背番号が固定制ではなかったため、背番号10を実は背負ったことがあるのだ。ディフェンダーの選手では珍しい。
まとめ
サッカーにおいて背番号10番というのは特別な番号なのはもちろん、Jリーグのチームの中でも特別、横浜F・マリノスの10番には重い存在感がある。それは中村俊輔選手が背負っている番号だからかもしれない。
日本を代表する背番号10番、中村俊輔の10番の背中は必見だ。