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二刀流でチームを牽引するセレッソ大阪、山村和也

2017 6/28 18:44Aki
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シーズン序盤に快進撃を見せているセレッソ大阪

2016シーズンのJ1昇格プレーオフでなんとか3年ぶりのJ1昇格を果たしたセレッソ大阪が、2017年明治安田生命J1リーグのシーズン序盤、快進撃を見せている。
第2節の浦和レッズ戦こそ、昨シーズンのJ1最多勝ち点チームと昇格チームという差を見せつけられる結果となったが、サガン鳥栖、横浜F・マリノス、鹿島アントラーズに3連勝。第7節の大阪ダービーガンバ大阪戦もアディショナルタイムに追いつかれ引き分けとなったが、内容的には昨シーズン4位のライバル、ガンバ大阪を圧倒。その充実ぶりを表す試合となった。
セレッソ大阪は予算規模的にも戦力的にも本来J1クラスのチームだから不思議では無いとも言えるが、2016シーズンの順位でいうとセレッソ大阪がJ1の中で最下位だった。これまでプレーオフ昇格チームは1度もJ1残留を達成した事がないので、予想以上の快進撃と言っても良いだろう。

そしてそのチームを引っ張っているのは、柿谷曜一朗選手や杉本健勇選手でもなく、また鳴り物入りでJリーグ復帰を果たした清武弘嗣選手でもなく、ある種伏兵ともいえる山村和也選手。
セレッソ大阪の快進撃は、その山村選手がフォワードとして起用された事からはじまった。

ロンドンオリンピック日本代表の中心選手

山村和也選手と言えばロンドンオリンピック代表チームのキャプテンとしてのイメージが強いかもしれない。
国見高校3年生の時にU-18日本代表に選出されると、その後は年代別代表チームの常連となり、流通経済大学2年時の2010年には大学生としては18年ぶりのA代表に選出。当時福岡大学で現在FC東京に所属する永井謙佑選手とともに、大学サッカーで最注目のタレントとなる。

2010年南アフリカワールドカップのサポートメンバーとして日本代表に帯同すると、本格的に立ち上げられた2012年ロンドンオリンピックを目指すU-21日本代表メンバーに選出され、キャプテンにも任命。広州で行われたアジア大会に参加する。
このアジア大会はJリーグのシーズン中に行われた為、Jリーグの選手はチームでの出場機会に恵まれていない選手がほとんどだったが、グループステージ初戦で開催国中国に圧勝するとそのまま全勝優勝を達成。そして清武弘嗣選手や東慶悟選手などJリーグで活躍する選手も合流したオリンピック予選でも、引き続き主将としてチームをひっぱり本大会出場を決めた。
大学卒業後の2012年にはオファーを受けた9クラブの中から鹿島アントラーズ加入を決断。大卒1年目にもかかわらず背番号4番を背負った。また代表チームでのプレー時間からいきなりA契約、本人の希望で契約期間は3年となっているが、将来の海外移籍も視野にいれた大型契約として話題を集めた。

セレッソ大阪への移籍を決断

鹿島アントラーズでの山村選手は1年目の第3節から先発の座を確保するなど、順調なものかに思われた。主にプレーしていたポジションはオリンピック代表でプレーしていたボランチではなく、流通経済大学でも務めていた本来のセンターバック。抜群の高さと、ボランチでもプレーできる技術の高さ、キックの精度の高さを武器に出場を重ねる。

しかし2014年に入ると昌子源選手、植田直通選手の台頭でポジションを失う事になった。
2015年からはボランチとしてもプレーするが、ほぼカップ戦要員となり、ロンドンオリンピック代表での恩師である関塚隆監督が就任したJ2ジェフユナイテッド千葉からシーズン途中にオファーを受けるなど周囲が騒がしくなる。シーズン中の移籍を望まない山村選手は、このオファーを断るが、シーズン終了後にセレッソ大阪からのオファーを受け完全移籍を決断した。
セレッソ大阪ではポジションが鹿島アントラーズ時代のディフェンス登録ではなく、中盤登録に変更した様に本人はボランチで勝負したいという意思を持っていたようだ。

フォワード山村和也

セレッソ大阪加入後は本人の希望通りボランチとしてプレーしていた山村選手。それは山村選手は高さやディフェンス能力は非常に高く運動量もあるのだが、スピードが無く背後を取られると厳しいという経験を鹿島アントラーズで積んでいたからだった。
しかし尹晶煥監督が就任した今シーズン、山村選手は第2節浦和戦の途中からフォワードとして起用されることとなる。多くの人に驚きをもたらせたこのコンバートだが、この起用が大ヒットする。第3節以降は杉本選手の2トップとしてポジションを確保し、時には抜群の高さを活かした前線のターゲットとして、尹晶煥監督によって植え付けられ始めた4-4-2の守備ブロックを作るファーストディフェンダーとして、古巣鹿島戦でのゴールを含め2得点を決めているようにゴールゲッターとして、さらに抜群のキープ力を活かした前線の収まりどころとしてセレッソ大阪の攻撃の中心となる。

またさらにそれだけでないのが、第4節の鳥栖戦、第5節の横浜F・マリノス戦の終盤に見せた姿だ。リードしたまま試合終盤に入ると山村選手はそれまでの最前線から最後尾にポジションを変え、センターバックにポジションチェンジ。3バックを形成し相手の攻撃を跳ね返すというまさに二刀流の活躍を見せている。

シーズン開幕前にテストされていた山村選手の前線起用

鹿島アントラーズではほとんどの試合をセンターバックとしてプレー、セレッソ大阪でも2016年はボランチとしてプレーしていた山村選手。多くの人が驚いたコンバートだが、実は尹晶煥監督はシーズン開幕前からこの布陣をテストしていた。開幕前からソウザ選手と山村選手は、どちらもボランチと前線の両方でプレーしていたのだ。
山村選手はロンドンオリンピック予選で現チームメイトの山口蛍選手とボランチを組んでいた時も、攻撃的な役割を担っていた様に元々攻撃に出ていくのが好きな選手。テクニックもありシュートも上手い。そしてソウザ選手もボランチでありながら攻撃的な能力は抜群だ。
おそらく尹晶煥監督の頭の中ではシーズン開幕前からこの2人のどちらかを前線で起用しようというアイデアはあったのだろう。 この2人を選んだのは高さと運動量があり、攻守にプレーできる選手だったからではないだろうか。

尹晶煥監督は鳥栖時代からロングボールを上手く使う監督として知られている。またセレッソの監督に就任した当初は、このチームに組織的な守備のベースが無い事を指摘する発言を繰り返していた。それらの課題を解消するのが、この2人のフォワード起用というアイデアだったのだろう。 新境地を開いた山村選手の活躍で、セレッソ大阪はプレーオフで昇格したチームとして初のJ1残留はもちろん、上位進出も狙える可能性もありそうだ。