ついに覚醒の時を迎えた 北海道コンサドーレ札幌、都倉賢|【SPAIA】スパイア

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ついに覚醒の時を迎えた 北海道コンサドーレ札幌、都倉賢


将来を期待された逸材としてトップ昇格

身長187cmという単純な高さだけでなく、足の長さなど日本人離れした体格を持つ都倉賢(とくら けん)選手は、横浜F・マリノスのジュニアユースから高校時代は川崎フロンターレU-18でプレーしていた。 そして2005年に川崎フロンターレのトップチームに昇格する。

プレーは荒削りだが、プロ加入当初からその身体能力の高さはずば抜けており、プロ1年目ながらも強さと高さだけでなく、スピードも十分。また強烈な左足から繰り出されるシュートも持っていたので、川崎フロンターレにとっては、将来のエース候補の1人であり、期待の大型フォワードだった。

都倉選手がトップチームに昇格した2005年は川崎フロンターレにとって、その前年に関塚隆監督のもとJ2優勝を達成し、5年ぶりにJ1の舞台で戦う昇格チームという立場だ。 また、当時のチームの前線にはジュニーニョ選手、我那覇和樹選手、黒津勝選手らの豊富なタレントが揃い、フォワード陣はチームにとって大きな武器だった。

そういった新人選手にとってはある種厳しい状況でありがならも、都倉選手はプロ1年目からリーグ戦3試合、ヤマザキナビスコカップ(当時)1試合と公式戦4試合の出場を果たしている。

ザスパ草津への移籍

2年目の2006年、都倉選手の公式戦出場は0試合、2007年もわずか2試合に終わり、この2年間はベンチ入りする事もほとんど無いという厳しい状況が続く。 さらに4年目となった2008年も開幕からベンチ外が続く事となり、第17節でようやく途中出場で5分間ピッチに立つがほとんど何も見せる事ができなかった。

当時の都倉選手は、身体能力やポテンシャルを持て余している状態。川崎フロンターレでのここまでの3年半で決めたゴールは0で、闘志を前面に押し出してプレーするものの気持ちばかりが逸り、空回りを繰り返していた。

ここで都倉選手は何とか現状を打破しようと、シーズン途中にJ2のザスパ草津(現在のザスパクサツ群馬)に期限付き移籍をすることを決断する。
ザスパ草津では加入直後の第29節、愛媛FC戦から3試合続けて途中出場を果たし、5試合目の第32節にはプロ初の先発メンバー入りを果たす。 さらに第42節のサガン鳥栖戦では、念願のプロ初ゴールを決め、さらに翌第43節サンフレッチェ広島戦では1試合2得点を達成する。

最終的にはザスパクサツ群馬の半年弱の間で、リーグ戦16試合中14試合出場(内先発6試合)3得点という成績でようやくプロとしての一歩を踏み出す。

この半年間でプロサッカー選手としての大きな手応えを掴んだ都倉選手は、ザスパ草津に完全加入することを決断する。 すると開幕からポジションを掴み大活躍を見せる。2009年の都倉選手は、リーグ戦43試合出場23得点とJ2得点ランキング2位となり、一気に注目の選手となった。

2度目のJ1でのチャレンジとなったヴィッセル神戸時代

J2で23得点を挙げ、日本人選手には珍しい大型フォワードという事で、このシーズンオフにはJ1の多くのクラブから声がかかる事になる。 J1に昇格したセレッソ大阪への移籍が濃厚という報道があった中で本人が決断したのはヴィッセル神戸への移籍だった。都倉選手にとっては2度目のJ1でのチャレンジだ。

しかしこのヴィッセル神戸でも、移籍初年度のシーズン前半戦こそ先発出場を続けるが、徐々にベンチを温める時間を増やすことになっていく。 都倉選手は時折誰もが驚くようなゴールを決めたり、素晴らしいプレーを見せる事もあるのだが、そうかと思えば全く空回りに終わってしまう事もあるというプレーで、ポジションを掴む事ができなかった。

またチームがJ2で戦うこととなった2013年も、チームのエースだった大久保嘉人選手は移籍したものの、前線でポジションを掴んだのは同じく空中戦に抜群の強さを見せ、都倉選手にない安定感をもった田代有三選手だった。 そしてこの2013年でヴィッセル神戸との契約も満了。ヴィッセル神戸での4年間での得点はわずか14に終わった。

J2で再び掴んだ自信とJ1昇格

ヴィッセル神戸との契約を満了した都倉選手は、シーズン終了後に海外でのプレーを希望し、デンマークのクラブに練習参加をするが、残念ながら契約には至らず帰国することになる。 J2のコンサドーレ札幌(当時)への加入が発表されたのは2014年のシーズン開幕後の事だった。

そしてそのシーズン序盤こそ途中出場が続いたが、シーズン後半戦になるとポジションを確保し、再びゴールを量産し始める。最終的に2014年は14得点を記録、さらに2015年にはシーズンを通じて活躍し13得点とコンスタントに活躍を見せるようになる。

この2年間の活躍にチームでの立場もより重要なものとなった都倉選手は、3年目の2016年には期待に違わぬ活躍を見せ19得点を挙げチームのJ2優勝を達成する。 J1昇格にエースとして貢献する2016年の活躍は再ブレイクとも言える大活躍だった。

迎えた2017年は北海道コンサドーレ札幌が5年ぶりでJ1の舞台で戦う事になる。このチームのエースである都倉選手自身にとって、3度目のJ1挑戦だ。 しかし、開幕前の北海道コンサドーレ札幌の評価は決して高くなかった。

それは都倉選手にとっても同様だ。これまでJ1で活躍するまで至らなかった事、年齢も今年のシーズン中に一般的には全盛期を過ぎる頃と言われる31歳となるためだった。

エース都倉選手が牽引する北海道コンサドーレ札幌

2017年のシーズンが開幕すると、チームは連敗スタート。さらにチームとしてゴールも無かったので、都倉選手にとっても、北海道コンサドーレ札幌にとっても、やはり厳しいシーズンになるかと思われた。
しかしホーム開幕戦となった第3節、セレッソ大阪戦で都倉選手の、そしてチームにとっても今シーズン初ゴールで1-1の同点に追いつき勝ち点1を獲得すると、続く第4節サンフレッチェ広島戦でも都倉選手がゴールを決め今シーズン初勝利を達成する。

第6節には再びホームで巨大戦力を誇るFC東京に都倉選手のゴールで逆転勝利を挙げると、第7節にも強豪川崎フロンターレ相手に引き分けた。 第7節までのホームでの4試合は2勝2分と負け無しを記録しており、その4試合全てで都倉選手がゴールを決めているという、まさにチームを引っ張る活躍を見せている。

都倉選手がJ1でもゴールが奪えるようになったのは、若い頃に見せていたフィジカル一本槍のプレーではなく、フィジカルだけに頼らない形でフィニッシュに持っていけるようになった事だろう。 これによりプレーの幅が大きく広がり、また持ち前の身体能力もさらに活きる形となっている。 そしてそのフィジカルは30歳を越えた今も衰える様子はなく、相変わらず日本人離れした豪快なプレーは健在だ。

北海道コンサドーレ札幌は、もちろんまだまだJ1残留には余談を許さない状況であることは間違いない。 しかし都倉選手が躍動し、ホームでこのペースで強さを維持することができれば、チームのJ1残留が現実のものとなるだろう。

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